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来ないと思っていた谷川さんが不在の世界
谷川俊太郎さんが亡くなったことを知ったのは、今日の早朝の、スマホの通知だった。
誰かが投稿すると通知が届く仕事用チャットアプリの。
仕事で著名な作家や文芸家の年表も扱っているので、ニュースを見た同僚からの「次回の改訂や増刷時に注意」という事務的な内容だったのだが、
貼られたリンクの見出しの「谷川俊太郎さん」と「死去」の文字がどうにも結び付かなくて戸惑った。
それから、小3の時の担任の先生の苗字が「谷川」で、「国語の教科書の谷川俊太郎さんの奥さんですか、ってよく聞かれるけど違います」と自己紹介していたこととか(下の名前は覚えていない)、
高校のコーラス部時代に歌った課題曲では、「♪この気もちはなんだろう」と爽やかなメロディに乗せて歌った記憶があり(確か「♪お母さんが大根をーお母さんがー」と不穏な高音を歌わされる曲もあったような)、
大学院生の時に嫌々取っていた教職科目の「国語科教育法Ⅱ」で「朝のリレー」をグループで音読させられ、教授と受講者によって細かく採点されるのを物凄くかったるく感じたこととか、
今から10年ほど前、ど田舎の市民ホールでご本人の朗読を聞いて、その後の食事会で、ほんの二言三言だがお話しさせていただいた時の映像が頭を駆け巡った。
ど田舎での公立高校教員生活2年目の時、保護者と教員で作る合唱サークルの「●周年記念コンサート」があった。
そこの学校の教頭は「地元の名士」的な奴で県知事とも繋がっていて、そういう外部の人も参加できるような催しにはやたらと金をかけて見栄を張ることが多かった。
そこでお呼びしたゲストが、谷川俊太郎さん・谷川賢作さん親子だった。
賢作さんと共に演奏した後、俊太郎さんの朗読パートもあった。
そこで聴衆が咳ひとつせずに見守る中、スポットライトに照らされたステージから聞こえた第一声が「うん、……こ。」だったことはよく覚えている。
その直後の、戸惑いと笑いに包まれた客席のものすごく不思議な空気も。
車に寝具を積んで授業の空きコマになけなしの仮眠を取ったり、一晩で約250人分の定期テストを採点させられたり(教科担当は各学年二人一組のはずが、ペアの先生が鬱で休職後数ヶ月間補充されず、特に生理前などはメンタルが不安定になり無人の職員室で泣きながら残業したりしたものだ)、
命を削って公僕の勤めにいそしんでいた当時のことは今思い出しても「クソが」としか思わないのであるが——
上記のコンサート後のお食事会で、ずっと「教科書に載っている詩の人」だった谷川さんと直接言葉を交わす機会を与えてもらった、それはあの場にいなければきっと一生巡ってこなかった幸運だったなとは思う。
しかし、その時自分が発した作品への感想はあまりに借り物の言葉すぎて、もらったお返事も「そうですか、僕はそう思っていないんですよ」みたいなもので、
どう贔屓目に見ても残念な会話でしかなかった。
他にも谷川さんと話したそうにしている人がたくさんいる中で、それ以上お時間を割いていただくのも申し訳ない感じだったので「ありがとうございました」と言ってサッとその場を離れた。
どう考えても一生に一度の機会だったのに、ひどく惨めな後味を噛み締めつつ切実に思ったのは、
ああ、自分の言葉が欲しい!
だった。
そこから10年、その思いのおかげで何か成長できたのかと問われれば、「わからん」としか答えられない。
谷川さんとて一人の人間だったわけだが、その作品数以上にそれをとりまく批評や言説の量が膨大すぎて、なんだか自分の中では神様みたいな印象で、
いろいろな本の作者紹介に「1931年〜」と書いてある、その「〜」の先がいつまでも埋まらない人、というイメージでいた。
その「〜」の後の空白が埋まってしまった今、寂しいとか悲しいとかよりもやっぱり「不思議」、という感じしかしていない。
たぶんしばらくの間、書店や図書館では谷川俊太郎コーナーが充実するのかもしれない。
そして自分もそこで足を止めて、パラパラとページを繰るのかもしれない。
知っている詩以上に、知らない詩のほうがまだ多い。
新しい発見が得られるかもしれない。
でもこれからは、谷川俊太郎が不在の世界だ。
とても不思議だ。
こういう場合に真っ先に口にすべき「ご冥福をお祈りします」の前に、
「とても不思議だ」なんて、常識的には失礼極まりないことである。
でも自分の中ではそれが真実だ。
8月には新川和江さんも亡くなったし、すぐれた言葉の使い手の訃報を知るたびに、この社会を支えている通奏低音が一つずつ消えていくようなイメージが浮かぶ。
悲しいというよりも、ただ不思議であり、そこはかとない不安を覚える。
また全然関係ないけれど、最近Youtubeでふと見つけて再生した養老孟司先生の動画で、
「世界というのは結局、個々の人間が脳内で作り上げている概念でしかない」
と言われていたのが面白かった。
概念に形を与えるのは言葉だから、言葉が貧弱になれば、世界も貧弱になるということだ。
どうせ生きるなら、豊かな世界の中で呼吸して死にたいものだ。
***
これも昼休みに追悼記事を読んでいて思い出したことだが(かつ過去記事で書いたことがある気もしないではないが)、大学時代に所属していた合唱サークルで、某私立小学校の校歌演奏を依頼されたことがあった。
開校してすぐの最初の入学式だったので、歌える在校生がおらず、系列の大学のお兄さんお姉さんに歌ってもらうから聞こうね〜みたいな感じだったと思われる。
その校歌が谷川俊太郎作詞で、「偉い人になるよりも良い人間になりたいな」というフレーズがあった。
無事に歌い終わって大学に戻り、学食でランチしていた時に一人の先輩が、
「あそこの給食、1食3,000円くらいらしいで。俺たちは学食で数百円の飯を食ってるのにな。そんな生活で『偉い人』よりも『良い人間』になれるもんなんやろか」
とぼやいていたのを妙に覚えている。
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