「センスの良さ」はなぜ必要なのか
そもそも、なぜ「センスの良さ」は必要なのか。
それは「センスの良さ」が人を集めるからだ。
私たちの住む社会は、物が多く溢れている。
ほんの一時間でも働けば、たとえ最低賃金でも、お腹が一杯になるまでご飯を食べることだってできる。
必要なものは、もう揃ってしまっている。
新卒の社会人や働かない大学生だって、空調の効かない部屋とか、冷蔵庫の無い家に住んでいないんじゃないだろうか。
「必要なもの」よりも「欲しいもの」を探している。
欲求を発見させ、欲求を満たすことのできるものが、必要とされている。
こういった需要を満たすのが、ある種の世界観であって、「センスの良さ」というものだ。
人はアイデンティティとなるものに、お金を惜しまない。なぜなら彼または彼女は、それこそがアイデンティティであって、「そういう人」なのだから。
アニメや映画の聖地巡礼なんて、もっとすごい。作品の世界観と現実の生活と、少しでも接点を持ち続けようとするその姿は第三者の視点から観察すると、虚しくも映るが、彼らは決して、その労力を厭うことはない。
このような、人を集めることのできる世界観を、何らかの媒体で作り出すことのできる能力に、畏敬の念を覚えている。
頭が良い人なんて腐るほどいる。
難しい数式を瞬時に解けるパソコンだって、無数にある。
客観的な正解のある問題に正解を回答することは、陳腐ですらある。
物が溢れるこの時代、「センスの良さ」が必要だ。