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『我が闘争』

堀江貴文:著 2016/12/6

 今にして思えば、2006年のライブドア事件は、僕のマスコミ嫌いの「原点」であった気がする。念の為に言っておくが、僕はホリエモン信者でもなければ、ファンでもない。ただ岡田斗司夫さんのYouTubeで紹介されていたので、なんとなく買ってみたに過ぎない。
 日本人ならば誰もが持っている「ホリエモン」のイメージは、マスコミが断片的な情報を切り貼りして作った「虚像」に過ぎないと言える。これに対して本書では、堀江氏自身の手による「自画像」が描かれている。それは確かに主観的なものなのかもしれないが、この「自画像」によって彼の一貫性が有るのか無いのか分からない様々な言動が、極めてシンプルに理解できるようになる。
 周知の様に堀江貴文は、例のライブドア事件によって三十三歳の時に刑務所に収監されている。そして経営者ではなくなった今「未来」については考えることの出来なくなった堀江氏が、獄中で「過去」に意識を向けざるを得なかった状況で本書は執筆されることになったのだ(タイトルの由来は、ここにもあるのだろう)。こういった事情から本書は、彼がモヒカン頭で収監されるシーンで終わるのだが、全体は大きく三部に分けられる。
 第一部は誕生から上京までの十八年間で、福岡県の田舎で育った少年堀江貴文が、どういった「満たされない思い」を持って、いわば「逃げる」様に東京に出て来たかが描かれている。既に初期の少年時代から、彼の周囲と摩擦を起こす性格の片鱗は見え隠れしている。しかし誰もがそうで有る様に、この段階での彼は未だ「自分が何者なのか」ということを、さほど明確に意識していない。
 第二部は東大入学から起業、そして上場までの十数年なのだが、大学での最初の数年間、彼は麻雀三昧や競馬依存など、かなりのクズ人間っぷりを披露する。「自我」が目覚める筈の、この年齢で彼は、かなりの「迷走」を続ける。その後に続くバイトから起業、そして倍々ゲームでの会社の成長は恐らく、この本の中で一番おもしろいところだろう(その後の上場については、後で簡単に言及する)。これは、安っぽい「成功物語」として読むべき内容ではない。注目すべきは会社の成長と連動して、彼の周囲の人間関係が徐々に変化していく点だ。これは一読に値するので是非、本を買って読んでみてほしい。
 第三部ではプロ野球界への参入、ニッポン放送買収、衆議院選立候補、ライブドア事件と、僕らがマスコミを通じて既に知っている出来事の「舞台裏」が描かれる(あれから二十年近くが過ぎ去ろうとしている今でも、世間の「ホリエモン」のイメージは、この数年間の出来事をべーすにしている)。この第三部も僕は興味津々で読んだが、後になって考えてみると随分と退屈な内容だった気がする。何故なら、そこに書かれていることは確かに僕の知らないことではあったのだが、凡そ予想のできるものだ。
 そういった意味では、僕にとって意外だったのは二つ。第一は上場に際して、ライブドアの前身であるオン・ザ・エッジの創業メンバーたちを「切って」いるということだ。ここで彼は、経営者として「一皮剥けた」と言うこともできるだろう。彼が「時代の寵児」として脚光を浴びるようになったのは、この少し後のタイミングなので、世間の知る堀江氏は創業メンバーからは「堀江さんは変わったよ」と言われる、そんな彼なのだ。(勿論、堀江氏の主観では「自分は変わっていない」と言うだろう。それは彼の「魂の特性が変化していない」という意味では正しいのだろうけれども、彼の「社会的なポジション」は、この辺りで明確に変化しているのだ)。
 第二に意外だった点は衆院選への出馬が、純粋に「世の中を変えたい」という善意によるものだったということだ。これは俄かには信じ難いが、彼がこういう類の嘘を吐く性格の人間ではないことも、僕は理解しているつもりだ。
 最後に感じた検察と法曹界への不信感は、前回の書評『東電OL殺人事件』で述べたことと全く同じになるので、ここでは割愛する。

text: 竹下哲生
Shikoku Anthroposophie-Kreis, 日本アントロポゾフィーネットワーク

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