シリーズ「ヤル気を伸ばす」(その2):誰にも「自己成長欲求」がある
私が少年サッカークラブのコーチをしていたときのことです。
小学校低学年の子どもたちにドリブルの練習をさせたのですが、パイロンを10個ぐらい並べ、ジグザグにドリブルしながらそのパイロンを往復するタイムを測ってみたのです。私はただタイムを測って本人に知らせるだけで、アドバイスも指導もいっさいしませんでした。
すると、どの子も目を輝かせながら「今何秒だった?!」と自分のタイムを知りたがるのです。決して「〇〇君のタイム」ではないのです。つまりどの子も「前回の自分」を超えたがるわけです。誰もズルしようともせず、どの子も、より速く正確にドリブルするにはどうしたらいいかを自分なりに工夫して、何度も繰り返したくて仕方がない、という様子です。大人から与えられた目標ではないため、ヤル気がそがれることもありません。
そのとき、ライバルとは敵チームでもチームメイトでもなく、「1分前の自分」なのだ、ということを、子どもたちから教わったような気がしました。
私の母は昨年94歳で亡くなりました。
さすがに体はボロボロだったようで、耳はほとんど聴こえず、目も片方がほとんど見えず、足はむくみ、背骨はSの字に曲がり・・・という具合いでしたが、亡くなる前日まで大学ノートに日記を書き続けていました。それを見ると、「今日は○○が食べたい」だとか「ストレッチ体操を心がける」だとか「薬の飲み方を工夫する」だとか、とにかく生きる意欲に満ち溢れていたことがわかります。そして、最期まで社会や自分の身の周りへの関心を失わずにいました。つまり、「終末」の気配がいっさいないのです。
近年の発達心理学によると、人間は誰しも(たとえ肉体的には衰えたとしても)生涯成長し続けることができるそうです。
最近では「ジェロントロジー」なる学問分野まで登場しています。「加齢」「老化」「高齢化」といった現象を、医学・生理学、心理学、社会学といった分野で統合的に、そして前向きにとらえよう、という試みです。
とにかく子どもたちは「自己成長欲求」に満ち溢れています。大人が成長を止めている場合ではありません。「現状維持」は退化です。自ら課題や目標を設定し、「1分前の私より今の私」「昨日の私より今日の私」「昨年の私より今年の私」という意気込みを保ち続けたいものです。