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夢を「登場物」の視点から語り直す(夢の学び29)

8月5日の投稿で、多重人格障害者のみる夢について書きました。
いわゆる多重人格障害(解離性同一性障害)の人は、自己が複数の人格に分裂していて、それぞれの人格がスイッチして主人格を演じるため、ある人格が主人格になっているときは、その他の人格には記憶がないのが普通です。こういう人が夢をみるなら、ある人格だけがある夢をみて、それを憶えていて、その他の人格にはその夢の記憶がないように思えますが、実際には、すべての人格が同じひとつの夢をみていて、ただしその夢をそれぞれの人格の視点から別々に体験していて、そのすべての記憶があるというのです。
これは大発見であり、この精神病の正体と新たな治療法に結びつくものだと感じます。

今回は、ここからが話のスタートです。
では、自己が複数の人格に分裂しているわけではない普通の私たちは、通常「自分」と認識している単一の視点で夢をみているのでしょうか。
どうやら、事情は少し違うようです。
ゲシュタルト療法の創始者であるフレデリック・パールズのドリームワークは、演劇性・身体性を取り入れたワークです。
ゲシュタルト療法には、たとえば胃の痛みを訴えるクライアントがいたら、そのクライアントの目の前に椅子を用意し、その上に自分の胃が載っているつもりで、その自分の胃と対話してみる、というのがあります。自分の胃を相手に即興劇を演じてみるわけです。それによって、自分が無意識のうちに胃を痛めつけている原因が、「胃の口」から語られる、というわけです。もちろんこれは、本人の無意識が本人に向けて語っていることに他なりません。
つまり、自分の無意識の一部を、いったん人格化し、それを観察の客体とすることで、自分の意識に再統合する、というプロセスです。したがって、多重人格障害者の場合、自分の無意識の一部が何らかの原因(たとえば幼児期トラウマなど)により、自分の人格から分裂して人格化し、それが慢性化して、再統合が起きずにいる状態、と定義することもできるわけです。たとえば、自分の胃が人格化し、一時的にその人格に意識を乗っ取られる状況を想像してみてください。苦しさのあまり、あなたの胃があなたの代わりに暴れまくる、といったことも起こってくるわけです。それこそ、多重人格障害者が経験していることだと言えるでしょう。

ゲシュタルト・ドリームワークにも人格化と再都合の意味合いがあるようです。夢主に、夢の中に登場したあらゆるシンボルの視点に立って、その視点から夢を語り直しさせる、というものです。
たとえば、夢に「山」が登場したら、その山を「擬人化」して、夢の中での山の役を本人に演じさせます。山が言いそうなセリフをしゃべってみたり、山になったつもりで身体を動かしてみたり、ということです。それによって、山というシンボルが何を伝えたいのかを、自分自身にフィードバックするわけです。
これは、夢主の勝手な想像力によって、「山」の言い分を代弁したのでしょうか。つまり、夢主が後から勝手に自分の夢を作り替えたと・・・?
そう捉えることもできますが、ちょっと待ってください。
そもそも、夢は想像力の産物と言えます。しかも無意識の想像力です。
さらに、夢の中のあらゆる「想像物」は、人物であれ、動物であれ、山や川などの「自然物」であれ、すべて夢主本人の一部であると考えられます。
つまり夢は、夢主本人の無意識の中身を、シンボルというかたちで、夢主の意識へと変換してみせているわけです。したがって、そうした夢の登場物の視点から夢の物語を語り直すことは、いわば再び自分の無意識にアクセスすることであり、視点を換えて自分自身を眺め直すことです。たとえば夢の中の「山」を演じるとは、山に象徴される自分の一部が、自分に何を言いたいのかを知る、という作業にほかなりません。つまり、象徴表現を通して、無意識にアクセスし、その象徴の視点から自分自身を眺め直す、という作業です。これは夢の作用そのものです。
つまり、自分の夢を、視点を換えて語り直すことは、夢の登場物の視点からもう一度その夢をみ直す作業にほかならないわけです。こうした意味から、夢は語り直された瞬間が「もうひとつの夢体験」となるわけです。原理的には、夢の中の登場物の数だけ、新たな夢体験をすることができます。

おそらく、夢に関するこうした事情は、多重人格障害者も同じなのでしょう。同じひとつの夢を、視点(人格)を換えて、何度も語り直すことができるわけです。こうした事情からも、当たり前の話ですが、多重人格障害者は、誰か別の人の人格に乗っ取られているわけではなく、自分自身が複数の人格に分裂しているにすぎない、ということがハッキリわかるわけです。しかし、厄介なことに、本人はそのことに気づいていないからそこ、病理化するわけです。
私たちは、自分の無意識を意識できず、無意識という別人格に動かされている限り、病理化一歩手前の多重人格障害者と大して変わりはない、ということです。
ここからも、本当に自分自身が自分の人生を生きるには、ドリームワークなどを通して、自分の無意識の言い分を注意深く聞く必要がある、ということがわかるでしょう。

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アンソニー  K
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