源氏物語:桐壷,帚木,空蝉,...の順に読むと、話の流れが不自然かも
林真理子 (源氏物語の)初めのほうの、空蝉に対する光源氏の態度はちょっと傲慢。現代の女性に好意をもたれない感じがします。それも相手は人妻。紫式部はなぜ、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定したのでしょうね。
山本淳子 なぜでしょうね。私にもわかりません。
( 誰も教えてくれなかった
『源氏物語』本当の面白さ
林真理子×山本淳子、小学館新書
p.32、最後から二行目 )
林真理子の疑問はもっともで、人気作家だけあっていいところを突いている。それに比べて山本淳子の反応は、『源氏』研究者なのに頼りない限り。
と言うのも、世に「武田説」と呼ばれるものがあって、要約すれば以下の通り。
1)『源氏物語』前半33帖は二つの系統に分離できる:
紫上系:桐壷 若紫 紅葉賀 花宴 葵 賢木 花散里 須磨 明石 澪標 絵合 松風 薄雲 朝顔 少女 梅枝 藤裏葉
玉鬘系:帚木 空蝉 夕顔 末摘花 蓬生 関屋 玉鬘 初音 胡蝶 蛍 常夏 篝火 野分 行幸 藤袴 真木柱
2)玉鬘系は紫上系の完成後に書かれ、現在の場所に挿入された。
つまり、林真理子の疑問自体が解消されるわけです。山本淳子は、次のように解説して上げても良かったのではないか :
「学界の多数派ではないけれど、武田説によれば、紫式部が書き始めた時点では、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定する積りは無かったのヨ」。
確かに、武田説を支持する研究者は学界で少数派です。しかし山本淳子は人も知る平安文学研究者で、『源氏物語の時代』で第29回サントリー学芸賞を受けた程の専門家。1950年に発表されてその後十年以上に亘って学界を賑わせた仮説を、聞いたことも無いなんてあり得ない。なのにそれを紹介することもなく、ただ「わかりません」という答え方は、武田説を無視する学界の大勢を憚って口をつぐんだとしか思えません。
これは別に、山本淳子氏を狙い打ちしているわけではありません。今度少し調べたのがきっかけで、別の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』を購入し、平安時代や『源氏』について何でも知ってるんだと、改めて感心したくらいです。「武田説を無視する学界の大勢を憚って口をつぐんだ」というのは、大野晋・丸谷才一など少数の人々を除いて、武田説を飽くまで否定する大多数の専門家諸氏に向けた言葉です。
武田説の根拠は、
にご紹介しましたが、主要な点を引用すれば:
紫上系の人物は玉鬘系にも登場するが、玉鬘系に初登場する人物はその後に来る紫上系の帖には登場しない。
とりわけ、前半33帖の大団円とも言うべき梅枝,藤裏葉には、光源氏が関係した多くの女性が勢揃いしているのに、玉鬘が全く姿を見せない。
紫上系で起きた事件は玉鬘系に影を落しているが、玉鬘系で生じた種が紫上系に戻って活動することは無い。
これだけでも、紫上系が本体であり玉鬘系は外伝のようなもの、と考える根拠として説得力があります。しかも桐壷,帚木,空蝉,...と読み進む限り、「紫式部はなぜ、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定したの?」という疑問を避けられない。林真理子のひと言は図らずも、現行の順で読むことの不自然さを炙り出したと言えるのじゃないでしょうか。
その上、原文にせよ現代語訳にせよ初めて『源氏』を読む人にとっては、まず紫上系を通読してから玉鬘系を読んだ方が、物語の展開が遥かに見通し良くなるのです。
実際、帚木,空蝉,夕顔の三帖は、それぞれを短編として読めば面白いけれど、『源氏』全体を物語として読み通そうと思う者にとっては、話の進行がしょっぱなから停滞して中々前に進まず、先の展望も開けない大きな原因です(岩波『新 日本古典文学大系』本で合計約100ページ)。玉鬘,...,真木柱の十帖に至っては、梅枝,藤裏葉の前に、約200ページに亘って立ちはだかっています。この十帖で初めて登場した人物や起きた事件が、梅枝,藤裏葉には一切現れないのにです。
こうした事情にも拘わらず通常の順で読ませようとするのは、通読を思い立った読者の覚悟を試しているかのようです。帚木,空蝉,夕顔の三帖を突破した者だけが若紫以降に進む資格を持つ。同じように、玉鬘に始る十帖を読破した者だけが、前半33帖の大団円を知る権利を与えられる... まるで通過儀礼のような雰囲気です。
殆どの研究者は苦労して通常の順で読み通したものだから、初めて読む人が武田説に従って楽するのが安易な態度に見えてしまう、いやむしろ無意識的に面白くない。だから、みんなで寄ってたかって通常の順で読ませようとする... のではないかと勘ぐりたくなってしまいます。
もうそろそろ武田説を無視するのは止めて、「慣例に従って各帖を並べてありますが、紫上系を先に通読するという読み方もあります云々」と、序や凡例にひと言入れてみては如何でしょうか。原文・現代語訳を問わず、『源氏』を最後まで読み通す人がぐっと増えること間違い無しです。