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Kリーグのホットアイコン、ファン・ウィジョ

体育教育学部2011年入学

翻訳記事:SIS BOOM BAH 2015年12月号 カバーストーリー

Kリーグクラシックの異常な存在感
 
2015年、城南FCについて話す時、ファン・ウィジョを抜いて語ることはあんこを抜いたアンパンと同じだ。
リーグ記録だけを見てもチーム内で圧倒的な記録だ。計32試合出場、13得点3アシスト、そしてMOMを8回受賞―――。城南FCの精神的支柱であるキム・ドゥヒョンが計7得点でチーム2位、延世大の先輩であるナム・ジュンジェが4得点で同3位であることを今考慮すると、今年のファン・ウィジョは城南FCの確かなフィニッシャーとしてその地位を築いた。
 
「冬季トレーニングをしながらフィジカル的にとても良くなりました。試合にも頻繁に出ることでコンディションを維持できましたし、シーズン序盤に多くのゴールを決め自信がついた気がします。自信が一番大きかったかもしれません。自信をもってプレーしたことで、より良い姿をお見せできたと思います。」
 
今年10月に放送終了したKBSのバラエティー番組「青春FC」は大衆の関心を引き、いわば「大うけ」した。ケガや経済的理由からサッカーを諦めた彼らが再びサッカー選手という夢のために改善していくストーリーが込められていた。ファン・ウィジョもプロに足を踏み入れた時から注目を浴びていたわけではなかった。プロ1年目は試合にあまり絡めずしんどい時期も過ごした。延世大在学時には確かな主力メンバーだった反面、プロチームでの主力争いは彼にとって精神的にも肉体的にも苦しかった。しんどかった時期を淡々と話すファン・ウィジョに「青春FC」について質問してみた。
 
「ほとんど全部見た気がします。彼らのような選手をみると残念ですよね。私が偉くてここにいるわけじゃないじゃないですか。ケガや様々な理由でサッカーをやめた選手たちなのに・・・番組を見ながらいつも思ってました。『もっとがんばろう、恥ずかしくないように努力しないと』ってね。」
 
サッカー選手であればいつが大変で辛い時期なのか、彼もよく知っているからこそ、彼らのストーリーに深く共感したと続けた。しばしばメディアのスポットライトがあたる選手たちを見て、人々は彼らの光り輝く時期だけを目にする。華やかな照明の裏にできる影にある選手たちの努力や彼らが耐え忍んできた時期を忘れがちだ。ファン・ウィジョは自信の影の中で黙々と光を探して進んだ。そして、努力してその時を待った彼には、「韓国代表」という大きな贈り物が待っていた。
 
ついに始まった羽ばたき
 
今年8月、韓国サッカー協会は2018年ロシアワールドカップ2次予選のメンバーリストを発表した。ファン・ウィジョは初めて自身の名をA代表のリストに連ねた。所属チームでの活躍を重視するシュティーリケ監督のレーダー網に城南の看板アタッカーはたちまち引っかかった。左胸に太極旗をひっさげプレーするのはどの選手も夢見ることだ。嬉しい気持ちの中でも、ファン・ウィジョは謙遜を失わなかった。
 
「とてもモチベーションになったと感じます。そういう部分では代表チームに行ってきたことは大きな助けになりました。先輩たちから学ぶ点も多かったように思います。(ソク・)ヒョンジュン兄さんは背丈も190cm近くありながら、敏捷で柔軟性もあり、動きも良く一緒にトレーニングしながら良いアタッカーだという感覚を非常に受けました。」
 
各ポジションに実力派プレーヤーが集まる代表チームでは、ファン・ウィジョは冷静に自身にチャンスが回ってくるのを待った。ただ待つのにそれほど長くはかからなかった。10月13日に開かれたジャマイカとの親善試合で、Aマッチデビューゴールを炸裂させた。後ろから自身のシュートを防ごうと走ってきた相手ディフェンスの動きを把握し、キックフェイントでディフェンスを完璧にかわし、冷静にゴール右側に流し込んだ。
 
「(キックフェイントをした時)頼むから(足に)引っかかるな、と思ってましたよ。後ろから私を止めようと走ってきているのはわかっていました。アタッカーの本能とでも言いましょうか(笑)。」
 
シュティーリケ監督に指導を受けた時間は短かったが、その間にシュティーリケ監督が見せた姿は印象的だったと話す。代表チームにシュティーリケ監督がいるとしたら、城南FCには「ハクポムソン」(キム・ハクポムとマンチェスター・ユナイテッド前監督のファーガソンの名前をくっつけた別名)と呼ばれるキム・ハクポム監督がいる。そして、最後に延世大にはUリーグの名将であるシン・ジェフン監督がサッカー部を率いている。果たして、彼らはどのような監督なのか。
 
「シュティーリケ監督はまだよく知らないです(笑)。短い時間でしたが、私が感じたのは、選手皆のモチベーションが上がるよう雰囲気をうまく引っ張っているようでした。キム・ハクポム監督は、最初はめちゃ怖いと思ってました。でも実際そうでもないようです。普段は冗談もよく言いますし。もちろん、私だけそう思ってる可能性もありますけど(笑)。シン・ジェフン監督は普段は口数が多い方ではありません。選手を信じて任せるスタイルだと思います。どの監督も、私がたくさん学び、今も学ばせてもらっている監督たちです。」
 
所属チームでの活躍で国の代表という位置まで上り詰めた彼は、淡々とまだ学ぶことは多いと語った。彼が学びを得ようとしている対象は年齢や国籍を選ばない。Kリーグではベテランでありながらアタッカーの任務をたゆみなく遂行しているイ・ドングクが、ファン・ウィジョがお手本にしたいというロールモデルだ。歳は重ねたが彼以外の若いオフェンスの選手と比べても得点力、ポジショニングなどにおいて引けを取らないことは、簡単なことではないと舌を巻く。国内にイ・ドングクがいるとしたら、海外ではカリム・ベンゼマがファン・ウィジョの心を捉えたようだ。普段休みの日はベンゼマのゴール動画やプレー集が編集された動画をしばしば見るのだと語った。連係プレーやボールを受けた後の動きが抜きんでていると親指を立て絶賛した。ベンゼマだけでなく、海外の有名チームのゴールシーンは欠かさず見るというほど彼にとって有名選手たちの動画は良い教材になっているようだ。
 

ファン・ウィジョを説明する2文字、「蹴・球」
 
それでは、ファン・ウィジョ、彼の蹴球(サッカー)人生はどこで、どのように始まったのだろうか。
 
「サッカーは幼い頃から好きでしたが、2002年ワールドカップが大きなきっかけになったと思います。ちょうどその年、放課後の活動時間にある先生の目につき、本格的にサッカーを始めることになったんです。」
 
ファン・ウィジョもまた、2002年のワールドカップを見て育った2002ワールドカップキッズだ。韓国国内で開催された試合を見ながらサッカー選手という夢をはぐくんだファン・ウィジョは、小学校を卒業すると豊生中学校(城南U15)に入学した。入学当時、低学年が高学年とともに試合に出場することができるという話を聞き入学を決めた。豊生中学校から豊生高等学校(城南U18)に進学する際は、初めて生き残りをかけた争いを経験した。
 
「豊生中の選手たちみんながみんな豊生高に行くわけではないんですよ。豊生高校から呼んでもらえる選手だけ入学できるんです。高校から呼んでもらえないと他の高校を探さないといけませんでした。」
 
小学校でサッカーを始めた時からアタッカーとしてポジションを守ってきたファン・ウィジョは中学校在学当時身長が伸びはじめ、オフェンスの選手としての強みをより生かすようになった。豊生中で良いパフォーマンスを見せることで豊生高校から声を掛けてもらうことができ、高校在学期間にもコツコツと良いパフォーマンスを見せ続けた。
 
2009年、全国高等サッカーリーグにて豊生高校が準優勝する過程でも大きな役割を果たし、次の年の2010年にも主力アタッカーとして活躍し8ゴールを挙げ、リーグ戦の得点ランキング2位を記録した。中学・高校でたゆみなく成長し、大学入学時にはファン・ウィジョはいわば「ホットイシュー※」になっていた。
 
訳注:原文は뜨거운 감자、すなわちhot potatoの韓国語訳。本来の意味は「厄介な問題」だがここでは肯定的な意味で使われている。
 
「実は延世大じゃなくて高麗大に行くところだったんです(笑)。たしか1ヶ月くらいを残して突然変わったと思います。当時、私は大学チームの事情を良く知らず、豊生高校の監督が行けとおっしゃる所に行くものだと思っていたんですよ。今思えば、高麗大に行かずに本当に良かったと思います。(笑)」
 
城南FCの優先指名を受けながら延世大に入学したファン・ウィジョは、大学リーグでも如実に存在感を表した。1年次は不振の姿を見せもしたが、徐々に本人の技量を引き上げると、2年生に上がると同時に再び彼の活躍は鋭くなった(原文:발끝이 매서워졌다)。2012年、春季大学連盟戦で9ゴールを記録し大会得点王に名を挙げ、続くUリーグでも16試合で13ゴールを挙げ再び得点王を獲得した。ファン・ウィジョの大活躍に支えられ延世大は春季大学連盟戦を優勝、Uリーグでも完全優勝、秋季連盟戦でも準優勝という成績を収めた。最高の活躍を見せたファン・ウィジョだが、今でもその記憶には悔しさが残っている。
 
「また延世大に戻れるなら、延高戦※に勝ちたいです。1年の時は観衆も多くわけもわからずプレーしていたと思います。2年生の時は自信もありました。勝てると思いましたが、良い結果になりませんでした。また戻れるなら、絶対高麗大は倒したいです。」
 
※訳注:延世大と高麗大の対抗戦。早慶戦に優るとも劣らない盛り上がりで5つのスポーツで優劣を競い合う。
 


ファン・ウィジョのサッカーは現在進行形
小学生の時、ワールドカップを見てボールを蹴っていた子供が代表選手にまで成長した。彼に向けられるメディアと大衆の関心は爆発的だ。ファン・ウィジョはKリーグの新人賞として知られる「ヤングプレーヤー賞」の有力候補と目されている。しかし、彼はサッカー外のことよりもピッチの内側のことに集中したいと言った。
 
「今年の目標はチームが3位内に入りアジアチャンピオンズリーグの出場権をもぎ取ることです。個人的にヤングプレーヤー賞への考えが全くないわけではないです(笑)。(イ・)ジェソンもそうですし、(クォン・)チャンフンもそうですが、今年が最後なんですよ。(ヤングプレーヤー賞はプロ3年目までが対象となる)なので3人とも欲が出るでしょうね。ですが私は最大限、心を空にしようとしています。私のいる場所で最善を尽くせば、他のものは後からついてくると考えよう、とね。」
 
周囲の視線に大きく揺れたりしないファン・ウィジョは黙々と自身の道を歩んでいる。城南FCは3位内に入れず得点王争いでも後れを取り短期的な目標は達成できなかったが、9月のA代表に選ばれて以降は継続的にシュティーリケ監督に招集をされている。代表チーム招集はいつでも学びに行くものだと謙遜して話す彼だが、自信がないわけではない。
 
「背負うプレーや連係プレーは自身があります。そういう部分で他のアタッカーとは異なるものを見せようと頑張っています。シュート練習もたくさん行う方です。体が覚えてしまってからは、私も気づかぬうちに実際のピッチでも良いシュートがたくさん打てる時もあるように思います。」
 
自身の強みを確かに把握し、不足する部分はより上手な選手に学ぼうとする彼の姿勢からは真剣さが感じられた。インタビューが行われる間、周囲の視線、マスコミを通じた露出等に固執せず自身が努力することが一番重要だと強調した。他人が話す自分より、自分自身が話す自分が大事だということをファン・ウィジョはわかっていた。
 
「青春FC」にて、視聴者に大きな反響を呼んだフレーズがあった。
「若い頃の一瞬一瞬がチャンスだということを、若い頃はしばしば忘れてしまうものだ。」
そうだ。この時代の多くの若者たちに、あるいは、若かった頃があった全ての人たちに、深い共感を生む言葉だ。「若さ」自体が機会だということを知っているファン・ウィジョ。彼が全身で伝えてくれているメッセージがさらに大きな反響を生み出すことを願う。

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