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あの顔、その顔、この顔 どの顔もあなた。でも…

会社の顔、プライベートで見せる顔、ひとりになったときの顔などなど。

では、ホントの自分はどれ?

私が思うのは、どれもあなたの顔です。
「会社や友人と会うときは顔を使い分けて演じている」と言おうが、
すべてあなたなのです。

「こんなの自分じゃない!」と思う気持ちもわかります。

それは、どこかで期待して出した自分が
回りの期待に応えられなくて空回りしたとき。
そして、あまりに理想の自分が遠すぎて、途方に暮れちゃうとき。

でも、そこで立ち上がって「何ともないよ!」という顔をしても、
弱気になって素直に泣きたくなる顔をしても、それがあなたの顔です。
でも、ほとんどの人は平気な顔をしていても、ココロで泣いていますよね。それでいいんです!そんな時はひとりで存分に泣いてしまえ!
(※個人的意見です)

ですが、「顔」というのは、
「キャラクター」と同じく自身からにじみ出てしまうものです。
「顔」というのは、あまり作るものではない気がしています。

それは「偽りの顔」とでもいうのか…。
だから「こんなの自分じゃない!」「私のようで私じゃない!」
と感じてしまうのです。

なにも、役者さんではないので作らなくてもいいんです。
役者さんでも、
演じてるのか演じてないのかこの人の素なのかが見えてこない自然な演技が一番輝いて惹かれます。

私が一度、役者をやったときに感じたのは、
セリフをこう言わなきゃいけないやこう動いてという制約があるほど、
演じられてないのです。
自分そのものがモロに出てしまうのです。


普段は温和な人なのに、車のハンドルを握ると、
「タラタラしてんじゃねえよ!」と前を走る車に文句を言う人だったり。
店員さんへの態度が横柄だったり。
わかるけど…イライラするのは。
でも、誰かが見てますよ。
気分よく食事や買い物したいのに…
これじゃあ、その人は台無しちゃんです。
それも、その人の顔なんです。
思わず出てしまった…その顔をしまったあと、
誰かが見ていたらムチャ後悔。

もちろん、顔を突き合わせる人によって顔が変わる人もいます。
暗い顔をしていたのに、
コチラが話を聞いて聞いて聞いてる数十分後、笑顔になっていたり。
顔はコロコロ感情と連動して変わっていくもの。
そして、それは回りの人にも伝播します。

いや、もう強引でも決めちゃいましょ!

ごきげんな自分がホントの自分だって!
いつも好調なときばかりではない分。
ごきげんな自分はいろんなしがらみとか苦しみとかから解放されている自分。
何の荷物も持っていない。
持たされていない。
背負わされていない。
だからこそホントの自分な気がします。

暗い顔をしていたら、見事に誰も寄ってきません。
心配して「大丈夫?」と声をかけてくれる人は、
関係性のある人以外いません。
通りすがりの人はなかなか声をかけません。
本音を読み取ってくれる人もなかなかいません。
心配されたい気持ちはわかりますが、
少しトーンやテンションは低くても、少しは応えましょうよ。
無理する必要はありません。
フニャアとなってもいいんです。
誰かに寄りかかってもいいんです。
それが「隙がある」というものです。
その姿はどこか愛らしくて人間らしくありませんか?
肩のチカラを抜いて、
何にも持たない無防備な人はやっぱり好かれる要素があります。

私はこの事業所でちょっとまだ無理している感があります。
でも、それに気づいて声をかけてくれる方がいます。
心配かけまいと平気な顔をしているのですが、
やっぱり見透かされちゃうもんですね。
今日も自分が身軽でココロ軽くいられる顔を
この文章を書きながら探している途中の私なのでした。

【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】