見出し画像

オレたちにはまだ宿題がある

二度と同じとき・同じことは訪れない。

毎日毎日何にも変わらないと言っても、どっかは違う。

いつものように、いつものとき、いつものとこに行って、いつもの人に会って。

それでも、自分の気持ち次第で、いつもじゃない世界になるはず。

なのに…あきらめちゃってる自分。

そうじゃないでしょ!

あのとき、あそこに行って、あの人に会って…

いつでも、いつもじゃないいつもの扉がすぐそこにある。

食べるもの・見るもの・聴く音楽などなど、まだ知らぬものと日々出会えるこの世界。

刻々と動いていくこの世界。

昨日のようなことは起きないこの世界。

だから、いつも通りは1日もないんです。

最近の私は、不思議な出会いが起こる幸せの黄色いTシャツ…があります。

それはもう、大切に大切に着ていますよ。


「生きている」という手触り


死ぬこと…これは誰も経験したことがないですよね。

私は大学生時代、哲学の講義を取っていて、レポートを求められたことがありました。

私が書いたそのタイトルは

「哲学者は死んだことないのに、なぜ、死ぬことを哲学できるのか?」

でした。

経験がないことを哲学する不思議。

ここで言いたいのは、人が一番最後まで初心者なことは「死ぬこと」なのです。

そうです、人は最期まで初心者。

みなさん、死ぬのは怖いですか?

イヤですか?

イヤな方はどうして?

なんかその気持ち、ヒマで何か億劫なんだけど動かなきゃいけないときに湧いてくる気持ちに似ていませんか?

あれもやらなきゃいけないし、これもやらなきゃいけない。

考えるほどに自分のホームワークがどんどん出てくる。

時間軸は違えど「毎日」はその日にやらなきゃいけないこと、

「死」は生きている間にやらなきゃいけないこと。

そのホームワークは大小さまざまです。

自分のこと、家族のこと、友人のこと、夫・妻のこと、恋人のこと。

結婚・離婚・再婚、離別、家族の死、仕事、恋愛、交友関係。

もう、てんやわんやですよ!


「結婚」を例にとってみましょう!

誰かと同居する夫・妻になるのも再婚でない限りは初心者。

そしてふたりの間に子供が生まれて、父親・母親になるのも初めて。

だけど、父親も母親も子供の経験がある。

子育てに悩む人は、自分がどう育ってきたか?を思い出せば、生まれてきた子供にどう接すればいいのか?

初心者だとしてもわかるはず。

自分の育ってきたとおりに育てるか、自分と同じ目には遭わせたくないと自身を反面教師にして育てるか?


「手探り」

それが結婚や子育てに限らず、大変でしょうが生きて楽しむ醍醐味のような気がします。

「感触」がわかってくる喜びと実感があればあるほど、死ぬことなど忘れ去られていく。

よく聞きませんか?

重たい病気に罹ってから、人生が開けて輝いていったっていう体験談を。

暗い「死」という空があるから「生」の白い光(星の光)が輝きだす、まるで夜空のような心になると。

私自身も重めの障害を持っているからこそ、書けること・思うこと・やってみたいことがある。

こうなったら、生をまっとうしようと。

すると、いつ来るかわからない「死」を忘れてしまうほどのホームワークがたくさん目の前に。

それをクリアして生きてる感触を持てて、また次のホームワークがあって…

の繰り返しが生きるということ。

死にたいなんて、考えなくなります。

死にたくない!と強く思えてきます。

何もそんなホームワークなんてないよ!という人は、

達成するのに時間がかかる遠くにあるものでも、あっけなくできてしまう足元にあるものでも、

自分の手で探してほしいのです。

そう「手探り」してほしいのです。

私の人生、考えてみたら全部「手探り」です。

とりあえずやってみて「どうすればいいのか?」を考えてやってみて。

そのホームワークをまるでゲームを攻略するような気持ちで挑んでいく。

まず、少しでも興味があったら、手を入れてみましょう!

そして、その手で自分が納得できるまで掘ってみましょう!

何か宝物に当たった感触がするかもしれませんよ。

わが事業所の利用者さんも、一日一日自身にやることを課して、

越えることができようと越えられなかろうと納得するまで手を止めません。

読んでくださったみなさんにも、ネガティブなことを忘れられるたくさんのホームワークができますように。

【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】