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空気を読む。水を差す。

人の習性として、その場の雰囲気を壊さないために空気を読みます。

わが事業所では皆さんそれぞれを尊重してなのであまりありませんが、これって日本人独特の習性のように思います。

でも、それはとても危ういように感じます。

みんながみんなその雰囲気や交わされている言葉すべてに同意できているはずはありません。

ですが、みんな怖いんです。

ここで、一方向にスムーズに流れて平穏な空気に自分の本当の主張を(反対意見)を言うのは…。

もし、言ってしまって回りから「あなたはおかしい!」と反対の集中砲火を浴びたなら、「ああ、言わなきゃよかったんだ」とショック。

穏便に済ませるというのが人間関係では大切かもしれません。

でも、私はこう思うのです。

一方向に流れる空気をぶっ壊すかもしれないけど、言わないのは体に毒。回りにも毒の可能性も。

「水を差してしまえ!」

ダメなものはダメ、イヤなものはイヤ。いいえはいいえ。

いつからそう言わないで何でもやることが美徳だと言われ始めたのでしょうか?

もちろん言ったことには責任を持つべきですが、それよりも誰かが決めたことに嫌々賛同して責任を持たされる方が、もっとツラくありませんか?

どうしても、人間の輪の中では「役割」というものが存在します。

でも、「権利」も存在します。自由に言ったり、提案したりといったものの権利が。

そこで、たとえリーダーや回りに嫌われるような「水差し発言」だとしても、自分が納得できなければ言っていいんです。

でもって、きっと表ヅラはあなたを攻撃してくる人でも心の中では「よく言ってくれた!」「私もそれを思っていた」「言う勇気がなかった自分ってどうなの?」

なんて、感じていたりします。

何よりも素の発言をしているので、その仕事や仲間の仲が深まっていくように感じます。

わたしも水差し発言をして、その場が解散になったあと、こそっとそんなことを伝えに来た人もいました。

空気を読んでもいいですが、そこに確固たる自分の考えや意見が乗っていないときは、勇気だして「水差し発言」してもいいはずなんです。


「こんなはずじゃなかったのに…」と思うのは、水差しができていなかったから「ああ、あなたはすべてを呑み込んでなんでも引き受けてくれる」と相手に思われてしまっているからです。

途中からでも前言撤回でもいいので、そのときにそんな気持ちが下りてきたら「あの時は呑み込みましたけど、本当は…」と打ち明けてもいいです。

それでこそ、自分を尊重する第一歩のような気がします。

【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】