GW最終日ですが・・・

気がつけば長かった(はずの)九連休も最終日です。

明日からまた日常に戻るわけですが、今日も昨日に引き続き、ウ・ジョーティカ師

(Sayadaw U Jotika)の “A Map of the Journey”の紹介(兼、自身の備忘録)を。


早速、引用開始です。

ーここからー


瞑想と気づきの意味を
本当に理解している人には
瞑想のための時間割は存在しません。


どういうことでしょう?
瞑想と気づきの意味を理解しており、本当にマインドフル
である時に心の中で何が起こり、マインドフルでない時に心に何が起こるかを理解している人は、その違いがわかっていれば、「この時間はマインドフルになる時間で、あの時間はマインドフルにはならない時間だ」などと言うことは決してないでしょう。選択の余地はないのです。
マインドフルでないということは、思いがあらゆるネガティブなことを作りだすままに放置しておくということです。私たちの周りには、ネガティブなことや欲望、我儘の形成に繋がるものがたくさんあります。それらによって、私たちはより欲深く、より我儘に、そして満足することができずに、より不満を抱えることになります。
アメリカで不満について話した時に、私は「足ることを知っていれば、生活費を半分にすることができますよ。私たちはとても多くを不必要に使いすぎていますからね」と言いました。するとある人が、「半分しか使わなかったら、それは経済に大きな打撃を与えることになる。そんなことをすべきではない。もっと消費するべきです」と言ったのです。彼らはただ経済のためだけに使うことを考えていて、スピリチュアリティーのためにそうすることは考えていない。ここで大きな選択をしなくてはなりません。あなたはどちらを価値あるものとみなすのでしょう?
あなたの内的な徳性、スピリチュアリティーを育むことか、それとも、ただ世間並みの暮らしをすることなのか?


内的な徳性を本当に育もうとするのであれば
そこに近道はありません。王道はないのです。


アメリカには瞑想コースの広告があって、三日で悟れるとか、千ドル払えば悟りにかかるのは三日だけとか、そんなことを言っています……。そんな近道は存在しませんよ。
悟りを買うことはできません。あなたは内的な徳性をゆっくりと育み、自分自身に関する全ての良いことと悪いことを、ゆっくりととても深く、理解していかなければならないのです。
何か悪いものを自身のうちに見た時でも、それに対してはとてもオープンで、思いやりある態度でいなくてはなりません。ありのままを受け容れる態度でもって、あなたはそれを、個人に属さないものとして見る。全ての欲望、怒り、欲求不満、プライド、嫉妬を、自然なものとして見るのです。そうした思いに罪悪感を抱いたら、あなたはまた自我を強化していることになります。欲望や羨望、嫉妬やプライドを自然なものとして見ることができたならば、その観察する心は平静を保っていることになります。それは動揺していない。心の状態のせいで、幸福にも不幸にもなっていないのです。


気づきと平静をもって観察することができれば
自我を乗っ取ろうとするいかなるものが現れても
煩悩を強化することにはなりません。
煩悩は攻撃されることを恐れはしない。
あなたがどれだけ煩悩を攻撃してみたところで
彼らが敗北することはない。
むしろそれは煩悩をより強くさえするのです。


欲望や怒り、欲求不満や羨望、嫉妬やプライドといった煩悩は、とても真っ直ぐに見られること、平静に見られること、智慧とともに見られること、何か自然なものとして、存在ではなく、私ではなく、私のものではなく、私自身ではないものとして見られることを恐れます。私たちは常に正しいことを行いつつ、いついかなる時でもマインドフルでいなくてはなりません。
瞑想者として、何らかの瞑想対象に実際に集中しようとしている時でなくとも、私たちはせめて何らかの種類の気づきを、常に維持しておかなくてはなりません。思いがやってきた時はいつでも、私たちはそれがいかなる思いであるかを知る。そしてただ観察することによって、ある場合にはそれらは去っていくでしょうし、また別の場合にそれらが去ることがなかったならば、私たちは心を何か健全なことへと向けかえることができます。
三蔵においては、ダンマ(法)に関する本を読むことも説かれています。感情や煩悩の力が強すぎて、どうしていいかわからなくなってしまうことは時々ある。そうした困難な状況においては、ダンマに関する本を読んで、心を健全な思考のほうに向けるのです。あるいは、もしそれが不可能であったり、気が進まない場合には、マインドフルで安らぎに満ちた人と、話をするようにしてください。


―引用ここまでー


どうやらいかにして自我をコントロールするのかということが鍵になりそうですね。


(って、なかなかそれが出来ないから苦労しているわけで・・・)


そのために瞑想を活用してマインドフルネスに心を保つ(自我をコントロールする)ということなのだと思います。


どうやら生き方をシンプルにするだけでは足りなさそうです

とは言え、正直申し上げて、今の世の中を生きていくことに疲れてしまいました

(そりゃぁ、60年以上生きてるんやからなぁ)


ここらでなんとか『エゴまみれ』を返上してエゴのない生き方をしたいと足掻いているわけです。


ただ、目指す山は高いです。


(ってか、小職の煩悩が多いのが問題)


でもなぁ、こればっかりは目指さんことにはたどり着かれへんしなぁ・・・。


というわけで明日からまた日常が再開するのですがはたして小職は悟りを得ることができるのでしょうか

さて、そろそろ晩飯の支度をします。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。


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