強い人

強い人になろうとある日決めた。
フィジカルで強いというマッチョ的な思考ではなく、
精神面で強い人間になるという事で
生まれ変わりを信じる自分は
過去男であり、女であるが故、男女というのはそれぞれ
弱いところ、強いところがあるわけで、
それを超えた強さが本来人間が求めるべきのところだと
ある日感じたのである。

ただ人はそれぞれ器というものがある。
持って生まれたもの以上になる事はない。
例えば、選ばれた人というのは環境がすさんだものだったとしても
そこから、想像を絶する集中力、貪欲さ、努力とそれを救う
環境が『不思議な巡り合せ』として準備されているのである。
よく言われているのが、何でもない人が大統領になれるはずがない。
という話の前にその人たちの潜在意識に本心から『成りたい』という
集中力と貪欲さがないのである。
単になりたいという志望者は星の数ほどいるが、
それをサポートするほどの潜在意識での準備がされていない。
だから、自分が生まれる前に『何を用意して来たか?』が
重要になっている。
それが見つかると要は天職であったり、
『幸せ』というものが見つかるのである。

人と比較し、我欲による他人の物が欲しくなる人間は
潜在意識にアクセスがされていない。
表面的な世界で生きているために、何が大切なのかを
見失っている。その為、本来の学びからほど遠い。
だから、世の中『成功者』というものがビジネスで成功するとか、
有名人になり名声を勝ち取るとか、そちらの方に価値観が行ってしまう。

言っておくが自分がこれらの事を熟知しているわけではない。
自分もお金は欲しいし、世間から認められることを欲している。
人よりもできない自分がいたりすると、くだらない感情が浮かび上がる。
小さい事で、競い合ってしまう。
本来、自分以外は関係ないはずなのに。
この肉体を着ている以上、これらの我欲という壁を乗り越えるのは
非常に難しいわけで、それを含めて人間なのだから
しょうがない。

前職で知り合ったYさんは4つも年上の技術系の人である。
人にばかにされても、馬鹿な上司にどやされても
一時の感情を抑えて、『あぁそういう小さい人なんだなぁ』と
思考を変えてその場の嫌な思いを消し去る。
一見、この人は『できない人。』『優しいが、それだけの人』
と思われがちだ。
しかし、自分は前から仕事上パートナーとして組んでいたからか、
興味を抱いていた。自分に持っていないもの。
愚図でしょうがない人。だと思っていたけれどもある日事件が起きた。
仕事の出来ない年下の女性営業にみんなの前でどやされたのである。
誰もが聞いたひどい言葉たち。
しかし、Yさんは理不尽な怒りようにも大人として対応して、
反論する事を一切しなかった。
何か月たってもあの衝撃は誰も忘れない。

半年後ぐらいにYさんにその問題の女性営業を倫理上問題あると
上の人間に訴えようという話をしても、
そんなことあったかなぁ。それほど酷かったかなぁ?みたいな。
周りの人間の方が傷ついた感じで、当人はもう既に嫌な思いは
ほぼ消し去ている感じだった。
でも自分は憶えている、怒鳴られているときにYさんの
顎の筋肉が何か怒鳴りかかりそうな感じでモリモリと動いたことを。

嫌な感情を前に傷ついた感情をぬぐい捨てる事は自分にとって容易でない。
中学校の頃、集団で意地悪をされたことがある。
玉のちっちゃい奴が主導で4-5人いつも一緒にいた感じ。
奴の彼女と自分が仲良かったのか?彼女が自分の事に好意を抱いていたのか?プライドの高い美人ではない女性だったが、いつも付近にいたので
自分としては単に話をしていただけだったのに、奴が勘違いしていた。
それか、この女が奴に何か自分に対する事を言ったのか?わからないが、
それ以来、ちっさい石を後ろから投げて来たり、
はっきりとわからないような意地悪をしてくるのである。
相手はいつも数人いるわけだから、自分は背が低く度胸もなかったので
相手が何をやってきているかわかっていたが、無視をしていた。
継続する陰険な意地悪は、自分の中で憎しみになっていく。
それが何十年経っても、蓄積された憎悪というものは完全に消去しきれていない。自分もちっちゃい人間なんだと気づくのである。

だから、仕事上で知り合ったYさんの寛大さには
ある意味男としてというよりも自分の目指すところの人間として
大きな強い人だなぁと感じるのである。

彼もストレスを感じている。
数年前から若年性認知症が発症し始めて、結構忘れる事が多くなっている。
人の脳というのは20歳を過ぎると、忘れる事の方が多くなるという。
新しいものを受け入れる代わりに忘れる。
というよりは、脳の中にはそれらの記憶は残っているのだが、
整理されていないために、アクセスが難しくなるらしい。
新しい脳の神経回路を築くと、前の記憶を邪魔してしまうのであろうか。

しかし、80近い母親の認知症を考えると
昔の話と最近の話が混乱してきていると思う時がある。
さっき起こった事、そんなのはすぐ忘れてしまう。
先日叔母から聞いた話は、長女である母は姉妹たちと中学校の頃の話を
していたらしい。兄弟が多く貧乏だった農家時代、学校に行けず大好きな
勉強ができなかった悔しさが未だに残っているのだろうか?
妹に『あなたはなぜ生まれてきたの?』とひどい事を口走ったという。
え?そんな事を母親は言うのか?
と思ったが、叔母には『認知症という病気が言わせているんです。』と
説明しておいた。

昔ちょっとでも思っていた表現できなかった感情を認知症という病気が
今頃になって表に出させてしまうのだろうか?
なんだかそんな気がする。
医者曰く、近しい人にひどい事を言う。という。
認知症はまじめなコツコツと同じ生活パターンを繰り返す人がなるという。
だから、自分が思うに近しい人に言うのではなく、過去に
言えなかった感情が浮き出てくるのではないだろうか。
そんな気がしている。

同じことを繰り返し聞いてきたり、少々ヒステリック気味になったり
以前行った事を『聞いてないよ。』と言われたり、
財布やカギを何度も何度も忘れたり、
物忘れを父親や自分の子供のせいにされたり、
そんな事があるとなんだか自分が試されているような気がする。
瞬発的に『お母さんが認知症だから。』
『前に言ったじゃん。』
『ボケてるんだから。』
間違えている事を懇切丁寧に説明する。
否定してくると、こちらの声のトーンが上げっていく、
相手もヒステリックになっていく、
これらは最悪のルーティーンだ。

母親のいう事がどんなに馬鹿らしくても
『そうなんだね。』
『悪かった。ごめんね。』
と彼女を肯定しなければいけない。
それがいつになってもできない自分。
器の小さい自分がいる。
強い人間にならなければ。。。


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