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一途と重いの違い

一途でありたい

私は自分のことを一途だと思っています。一途なのは、多分いいことのような気がします。でも、一途と重いは紙一重です。私は重いとは思われたくないから、誰であっても相手のことを尊重して思いやる気持ちを大切にしたいなと考えています。

本当の一途さは相手を思いやる気持ちがベースです。束縛をするのは自分自身が傷つかないように自分を守るためのものなので、相手に負担をかけている時点で、本当の一途さとはかけ離れています。だから、重くはならずに一途のままでいられたらいいかなって、考えています。

自分が好きな人をいっぱい増やしたいと思っていたこともあったけど、今の私は誰か1人だけを大好きなままでいたいです。恋人が欲しいわけではないのですが、一人だけ特別な人は欲しいのかもしれません。自分にとってとびきり特別な人が1人だけ身近にいてくれたら、幸せそうですよね。

独占欲

私は時々、ものだけでなく人に対しても「私のものになって欲しい」と考えていることがあります。私だけのものになってくれる人が欲しいと考えてしまいます。私はそんな独占欲にまみれた人間です。でも、私は人に対して嫉妬の気持ちをむき出しにしたり、束縛したりすることはありません。はなから「私のものになってくれる人は存在しない」と、ちゃんと分かっているからです。

それに、人のことを「もの」と認識していること自体、たちが悪いと思います…。相手を支配しようとしたり、相手に依存しようしたりするのは、いろいろと不健全な人間関係を生みかねない発端になるような感じがします。だから、たとえ自分の想いが実らなくとも、見返りが何もなくとも、相手が幸せなら自分も幸せという考えを持てるようにするのが大事なのかな…と思っています。でも、これもただの綺麗事のようなものだし、実際にそういう考えを持てるような気はしません…。

もしかしたら、「私のものになって欲しい≒私の一番の理解者が欲しい」なのかもしれませんね。でも、私は人を信頼することができないので、そんな理解者を求めてもなあ…とも思います。私は人に甘えたり、人を頼ったりするのが嫌だし、それを人からされるのも嫌なので、あんまり人と一緒にいない方が自分はいいと思っています。自分のことだけど、何だか難しい性格なんですよね。

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