丁寧な暮らし
私は植物とものづくりが結構好きです。お花がとても好きです。植物をまた自分で育ててみたいなって、たまに思うんです。植物を育てるのは、とても楽しいことです。小学生の時に朝顔を育てていた時も楽しかったような気がします。植物の成長を見守るという生活は、心を穏やかにしてくれるのではないでしょうか?
植物の世話は、心の健康にとってすごくいいものであると思います。植物を育てるときには、日差しの当たり具合や水やりの回数、肥料は足りているか、虫がついていないか、とかいろんなことに気を付ける必要があります。ただ何も考えずに水をやり続けても、綺麗な花は咲かないし、元気には育ってくれないと思います。
植物は、私たちに多くのことを与えてくれます。外の庭や公園だけでなく、小さなベランダや部屋の中でも、光を浴びて風に小さく揺れながら成長し、自然の造形美や生命力を感じさせてくれるのが植物です。植物を育てることは、慈しみの心や相手を思って喜んで手を貸せる心をも育んでいくと思います。
植物は驚くほど短い時間で成長します。土に種や苗を植える→芽が出る→葉が増える→花が咲く→実を結ぶ、というような過程で育っていきます。手塩にかけて育てている植物のそうした変化や成長を、日々身近に眺めることができたら、五感が刺激されて達成感や喜びにもつながるような気がします。
逆に水やりを忘れたり、世話を怠ったりすると、植物はしおれて元気がなくなって枯れてしまいます。たとえ小さな鉢植えひとつでも、植物を育てるということは、命を預かることでもあるような気がします。生きている自然の素晴らしさや命の大切さが、改めて心に刻まれることということもあるんじゃないかな?
植物それぞれに違う葉や形、色があるし、美しい花を毎日そばで愛でることができたら、きっととても幸せだと思います。花だけでなく、野菜やハーブを育てて料理に使ったり、お茶にしたりすると、生活を豊かに楽しむこともできます。私は昔から、ジブリ映画のような生活とか、本の中の登場人物の丁寧な生活とかに憧れがあるんですよね。
自分で育てた植物を収穫して味わうことは、緑や花と自然に触れ合う機会が少なくなった現代の生活では、貴重な体験だといえると思いますね。私は人や動物と一緒に暮らすのは多分無理だと思うけど…、植物となら一緒に暮らせる気がします。
私はものの手入れをすることも好きです。自分が使うものは少しでもきれいにしておきたいなっと思っています。服やかばん、靴、腕時計とか、身につけるものの手入れをすると、心が少し落ち着きます。全然ちゃんと丁寧に手入れができているわけではないんだけど、ふと気づいたときにものの手入れをすると、穏やかな気持ちになれる感じがします。
自分で気づいて手入れをすることで、ものに愛着が持てるようになり、愛でることができるようになります。ものの手入れには、不思議な達成感というか、充実感があって気分が良くなることが多いんじゃないかな…ということに気づかされます。
ものがあふれ、何でも手に入る現代に生きる私たちには、もったいないという感覚は薄れています。買っては捨て、手に入れてはすぐに飽きる、ということを繰り返している人が多いと思います。そんな現代に生きる私にできることは、ものを最後まで使い切ることではないかと考えました。手入れをしつつ、丁寧に長く継続してものを使うことができたら、それが一番だと思います。丁寧な暮らしに憧れますね。
今の生活はまあまあ忙しくて丁寧な暮らしができていないのが、ちょっと残念だなあ…って思いました。丁寧な暮らしってちょっとハードルが高い感じもするけど、丁寧という言葉の定義は人それぞれでいいと思います。丁寧という言葉にこだわって生活することを目的にするのではなく、その先にある豊かさを感じることを大切にできたらいいな…って思いますね。
時間やお金をかけることなく、今の生活の延長線上でできる丁寧な暮らしを始めることができるといいかな…。丁寧な暮らしをどう定義するのかは自分で決めることができます。何もかも完璧にする必要はありません。完璧の一歩手前の、程よく手を抜いても自分が許せるレベルを知っておけば、ある程度はやったという達成感と、心地よい満足感が得られるはずです。自分自身が満足できて、毎日を心豊かに過ごすことができれば、それが自分だけの丁寧な暮らしになるんじゃないかな?
「生活そのものが楽しい」と感じることができて、小さな幸せを積み重ねていきたいですね。自分とは無縁で程遠いような生活のようにも思えてしまうけど、自分ができると思うことから少しずつ始めていきたいな…。今の生活にプラスして、「ついでに」という気持ちでできるくらいの簡単なことを見つけて、それを実行できるようにしたいなって思いました。