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noteでのフォローについて
前置き
私がフォローしているnoterさんの記事を読んでいて、本当に限られた特定の方々になるのですが、自分と相通じるものがある…と感じることがあります。一つ一つの言葉選びや考え方、文章や詩から伝わってくることなどに対して、すごくビビッと来るというか、特別感があるというか…。これは、私がnoteを始めた最初の頃から思っていたことです。
全然違う別々の人であるはずなのに、何か不思議なつながりのようなものを感じるんですよね。人としての本質が似ていたり、重なる部分が多かったりするのか、他の人にはあまり抱いたことがないような、また別の種類の好感があるように思えるんです。
その人の記事が更新されていてタイムラインに流れていたら、すぐに開いて、じっくりと目を通して読んで、スキを一番に押しに行きたくなります(笑)特定の方々に対する、その人の記事を読みたい衝動がすごいんですよね。恥ずかしいので誰とは言えませんが、いつも記事の更新を楽しみに待っています。
本題
ところで、私は自分から積極的にフォローすることは少ないのですが、フォローしていただいたときには、なるべくフォロー返しをします。でも、誰にでもするというわけではなくて、自分の直感で何となくフォローするかしないかを決めています。その人の記事を継続して読みたいと思ったら、フォローするという感じです。
時々、よくわからない人からフォローされると「?」となるので、そういう人は放っておきます。そしたら、いつの間にかいなくなりますよね…。単純に自分のページに飛んでもらうためだったり、スキ・フォロー稼ぎ目的なのかなあ…と思っています。
でも、たくさんの人に自分が書いたものを読まれるって、なんか緊張しませんか?ちょっとプレッシャーを感じるというか、なんと言うか…。私は結構保守的な人なので、そんなにたくさんの人に読まれてなくても別にいいんですよね…。ただのひとりごと感覚で書いている感じですからね。人とうまく話せない分、いっぱい書いているだけです。
最近は、自分がフォローしている人がどんどん増えていくと、タイムラインに流れている記事をいつか全部読み切れなくなりそうだなあ…と考えることがあります。今の時点でも、ちょっと読み切れていなかったりします…。読みたい記事が山ほどあるって、幸せなことなんですけどね。これはよくあるジレンマでしょうか。
そういう場合は、絶対に読みたい人(私と本質が似ている?noterさん)の記事を選んで読むしかないのかなあ…と思いますね。まあ、もうすぐ春休みなので、時間はたくさんあるし、大丈夫な気はしています。いろんなnoterさんの記事をゆっくり読みたいです。
たまに、何百人、何千人もフォローしている人は、一体どうしているんだろう…?と不思議にも思うんです。全部の記事はさすがに読めない量ではないでしょうか。私は自分が読まないんだったら、せっかくフォローしている意味があまりないし、なんか相手に申し訳ないと思うんですよね。ちょっと考えすぎかな…?
結局は、全部読み切れなくなったとしても、優先順位をつけて読める範囲で読んでいけばいいのかもしれません。時間は有限ですからね🤔