見出し画像

育ちの良さなんかない

私は優しそうな見た目をした偽善者なので、見た目と中身のギャップが大きいんだと思います。仲の良い友達が何人かいて、家族と仲良しでありそうな人っぽい雰囲気なのかもしれません。だから、家族と仲が良いと嘘をつくとイメージ通りに見てもらえます。反対に、友達がいないと言うと不思議がられたり、自分のマイナスなところを言うと「そんなふうには見えない」と言われたりします。

私はいい人の振りをして生きているので、育ちがよさそうに見られています。良くない家庭環境で育ったというのに、まるで無菌室・温室育ちかのように見られているのはなんだか嫌だなって思います。世間知らずで苦労知らずだと馬鹿にされているような気分にもなります。世間知らずなのは、そんなに間違っていないような気もしますが…。

先入観を持たれたくないし、私のイメージを決めつけないでほしいし、わざわざそれを口に出して言わないでほしいなって思ってしまいます。まあ、どうとでも言わせておけばいいのかもしれません。私は育ちがよさそうなんて人から思われても、本当はそうじゃないのになあ…って虚しくなります。また嘘に嘘を重ねないといけなくなるだけです。

「育ちがよさそう」は、どうやって解釈すればいいんでしょうか。「育ちがよさそう」は良く言えば、身近な現実の世の中・一般的な社会生活といった俗世間にあまり染まっていない、とか擦れていない感じ? 悪く言えば、少し世間ずれしている感じでしょうか?

育ちがよさそうに見られるというのは、プラスのことだと思います。でも、そう思われても私はあんまりうれしくないんですよね。ただ敵を作りたくないから、自分が平和に生きるために結果的にそうなったのであって、本当は全部自分のために上手く立ち回っているだけだから、勘違いされたくないです。持たれる印象は簡単に変えられないから、仕方がないとはわかっているけど、なんだか苦しくなります。

過去のトラウマや家族の対する負の感情は薄れましたが、他人の家族の話が相変わらず私のものとはかけ離れているなあ…とよく感じます。私は、家族の話をしている人を見ると、ギクっとなります。学生相談室の先生に私の家族の話をした時には、相手の反応からやっぱり一般的な家族像とは違うんだろうなあ…と改めて実感しました。

両親の激しい喧嘩。離婚しそうな両親。
アルコール依存・癇癪持ちの父のDV。
私に過干渉で依存的な母。
父や兄、父方の祖父母に対する母の愚痴を聞くこと。
ものを壊したり壁に穴を空けたりする兄。
私が兄に叩かれたり、風呂場で冷水をかけられたこと。
母の巻き添えで父から家を追い出されたこと。

そういったことはあまり普通ではないようです。私は何もしていないはずなのに、どうして揉めているんだろう…と思っていたんですよね。記憶自体は薄れてきてはいるけど、何をされたかは覚えているんですよね。ずっと忘れられないのかもしれません。

育ちが良い人は、経済的に豊かであり、良い環境で大切に育てられ、幅広い教育を受けた結果として、高い社会性や素晴らしい人間性を持つことができる場合が多いんだと思います。それはもはや普通ではなく、理想的な育ち方であって、そんなふうに育った人は希少なはずです。私は勉強だけはさせてもらえたけど、育ちなんか別に良くないし、普通でもなく、どちらかいうと悪い方です。私は人から与えられたのではなく、自分で人の良いところを見つけて盗んできただけです。それを「育ちがよさそう」の一言で片づけられるのは、なんか嫌です。

「育ちがよさそう」って思われると、実際は別にそんなことないのに、そうやって振舞い続けないといけないのかなあ…って思ってしまいます。私だって馬鹿でありたいし、ちょっと悪いことがしたいのに、みんなの私に対するプラスのイメージに私は縛られているような感じがします。

でも、私は結局幸せそうな人が羨ましいんだと思います。だから、いろんなものに恵まれている人が羨ましくて、自分も育ちがよさそうで頭がよさそうな感じになりたくて、そう見えるように振舞っているだけなんです。

何も知らないくせに…とか、分かってないくせに…って、思うことがたまにあります。私の本当のことを知る人がいないのは、当然のことなのに、人から何かを言われると「それは違うよ」って、否定したくなってしまいます。そんなんじゃない…、そうじゃない…って心の中で思いながら話すと、余計に疲れてしまいます。でも、本当のことを話しても何の意味があるのかはよくわかりません。マイナスなことを言うと空気が悪くなるから、私はそれが嫌で、いつも嘘ばかりついています。

いいなと思ったら応援しよう!