誤った信念課題
他者の主観的世界が知りたくて、おずおずと「あなたはどんなことを考えているの?」と質問する。これは恋人同士の会話としては望ましいですが、学問の方法としては全くあてになりません。
なぜならば、答えは嘘かもしれないし、相手がいい加減に答えるかもしれないからです。相手の望む答えを想像して、それに合わせるということさえあるかもしれません。そもそも、人間に自分の主観的世界を正確に言語化できる能力があるのかどうかも、甚だ疑わしいものです。
そこで、心理学という学問では、「直接本人に聞く」と言う方法を超えて、もっと巧妙に考え抜かれた作業課題を設定し、その応答を厳密に測定します。そして、応答を詳細に分析することによって、人間の主観的世界を推論することがある程度可能になるのです。
精神分析に利用されている作業課題の具体例を出します。発達心理学の分野で始まり、今では非常に広範な問題に適用されている「誤った信念課題」というものです。(発達心理学だから、子供が実験参加者です。)
【状況設定】
テーブルを挟んで、参加者と実験者が対面して座る。テーブルの上には人形が二体と、二つの形が違う小箱と、おはじきが1個ある。
【実験者の説明】
「では、少しお勉強しましょう。お人形が二つありますね。これが花子さん、こっちが太郎さんです。花子さんと太郎さんはおはじきで一緒に遊んでいます。
花子さんは、おはじきをこの四角い箱に入れました。すると、隣の部屋からお母さんが花子さんを呼びました。太郎さんは、こっそりとおはじきを四角い箱から取り出し、丸い箱に入れて蓋をしました。
そこへ、花子さんが戻ってきました。花子さんは引き続きおはじきで遊ぼうと思います。さて、花子さんはおはじきを取り出すために四角い箱と丸い箱、どちらの蓋を開けるでしょうか?」
ここまで説明して、子供に答えさせます。正解はもちろん、「四角い箱」です。
↓元は、サリー・アン課題といいます。
【解説】
こんな単純な遊びのようなことに一体どんな意味があるのか、と疑問に思うかもしれません。実は、これは非常に本質的な問題に関わっています。「目の前の現実」と「人の心の世界」が食い違う場合があるということを正確に理解していなくてはならないからです。
目の前の現実においては、おはじきは丸い箱に入っている。しかし、花子さんはそれを知らないので、おはじきは依然として四角い箱に入っていると思っている。すなわち、花子さんの主観は、現実について「誤った信念」を持っているということです。
5歳以下の幼児は、この課題に正解することが難しいとされています。幼児は目の前の現実に引っ張られてしまい、他者の心の中を想像することができないということです。また、対人関係に困難を示す「自閉症」という障害を持つ人は、この課題の成績が著しく低いことが知られています。
この「誤った信念課題」は、他者の主観は間接的に推論することによってしか分からないという、当たり前ではありますが大事なことを教えてくれます。他者の主観を推論することがうまくいけば、人間関係は円満となり、失敗すれば人間関係は険悪になるでしょう。また、こういった推論プロセスを巧妙に操作することで、相手に錯覚を起こさせることに成功すれば、立派な手品師になれます。あるいは詐欺師にもなれてしまうかも…。