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薄情者
私は大学の「人間関係フィールドワーク」という授業で、毎週水曜日に不登校の小中学生が通う教育支援センターに、実習をしに行っていました。
この実習はただの授業の一環なので、何かの資格のためのものではありません。ゼミに入るためにその授業を履修する必要があったので、ただそれだけの理由で私は履修登録しました。
学外施設(特別支援学校、障害者福祉施設、教育支援センター、児童発達支援センター、老人福祉施設など)を選択して、人間関係実習ができるので、公認心理師を目指している人は基本的にその授業を取っている感じでした。
今日がその実習の最終日でした。9月の終わりから今日までにかけて、全12回の実習でわかったことがあります。それは、私が薄情者であるという揺るぎない真実です。
私は不登校の子供というものに興味があったし、1時間半とか2時間かけて遠方の特別支援学校にまで行くのが嫌だったので、実習先は家から1時間で行ける教育支援センターを選択しました。
私は昔から学校がとても嫌いでした。でも、不登校になるという選択肢はありませんでした。不登校になりたかった時期もありましたが、嫌でも無理やり毎日通っていました。
私の周りには、不登校の子供がいませんでした。小学生の時は誰もいなかったし、中学生の時は学年に2人だけしかいませんでした。だから、不登校になること自体、許されないものである気がしていたし、レールから外れてしまうことを恐れていました。一度外れてしまったら、やり直せないと思っています。それは今もわりとそうです。
実習先には、任天堂スイッチとかカードゲーム、ボードゲーム、麻雀、漫画など、遊べるものがたくさん置いてありました。子供の勉強は別の小さい部屋で支援スタッフの方が担当するため、私はただ子供と一緒に遊んでいただけでした。だから、あまり「実習をしている」という感覚はありませんでした。
実習先にいた子供たちは、一見まったく不登校には見えない(問題を抱えていなさそう、困り事がよくわからない)子がほとんどでした。デリケートな話だろうし、守秘義務もあるのかもしれませんが、実習生には子供が不登校の理由を知らされません。だから、今日という最後まで、問題なく学校に毎日通えそうに見える子供もいました。
ただ、同年代の子供とうまく関われなくて、大人と一対一の関係を好む子供とか、場面緘黙症の子供などもいました。職員さん曰く、「ここに通所してくる子供は、自分に自信がない子が多い」とのことでした。確かに、そんな面は度々感じられました。
私は不登校の子供と接して、全体的に何だか子供っぽいなあ…と感じました。子供が子供っぽいというのは当たり前のことなのですが、私からするととても幼く感じられました。それは、私が大人になったというか、年を取った証なのかもしれません。
今日が最終日だったので、子供が帰った後の振り返りでは、全体の実習を通しての感想も職員さんに伝えました。
「一見普通と言ったらなんですが、特に問題なく学校に通えそうな子供が多いと感じていました。でも、継続して時間をかけて関わっていくと、見えていなかった子供の困り事や特性などが表れてきたため、そういったことを見逃さずに発見することが大事だと感じました。実は、子供はそういうことで困っていたんだ…と知ることができて良かったです。
支援する立場としては、それらのことを踏まえてどのように子供をサポートしたらいいのか考えていくことが必要だなと思いました。1週間に1度という実習だからこそ、子供の変化を感じ取りやすかったです。感情表現が多く見られるようになったり、笑顔が増えたりといった様子から、子供の成長に気づけました。」
私は職員さんに受けが良さそうなことを言っただけです。綺麗事を話しました。本当にそう思っていたのかどうか自分でもよくわかりませんでした。
私は実習を通して、子供をサポートしたいという感情は一向に芽生えませんでした。思い入れも特にありませんでした。実習生という子供を支援する立場として、望ましい形で振舞っていただけで、子供に対して何とも思っていませんでした。一緒に居て楽しいとは感じられませんでした。
今日で実習が終わって、私は清々した気持ちでいます。「もう終わったから、二度と行かなくていいんだ…」って思っています。同じ実習先の人に、「途中から行きたくないと思っていた」「最初の4,5回ですでに満足してた」「週に1度だけでもなんか嫌だった」と今まで何回か本音をこぼしてみたんです。そしたら、その度に「マジでそう」「みんな言ってる」と大いに共感されました。
学内授業では、特別支援学校に実習に行っている学生が「絶対に特別支援学校の先生にはなりたくない」と言っていました。そっちもそっちで決して楽しくはないし、私よりもいろいろと大変なんだろうな…と思いました。私も教育支援センターで働こうとは、決して思えませんでした。よくわからないけど、私はただただその場に居たくありませんでした。
支援職に興味があったけど、支援職に対する印象が少し悪くなったと話をしている学生もいました。わざわざ支援職に就く必要がない、普通の会社で働いた方がいいかもしれないと思ったそうです。「自分の中にある偏見を取り除くことができたし、経験としてはいいものにはなったけれど、実情を知ってそれで十分」という声がおそらくは多数なんだと思います。私もそうです。
応援したい。支援したい。手助けになりたい。…そういう気持ちは微塵もないに等しいのに、ただ単位を取得するためだけに私は実習生という役割をこなしました。何だかとても空虚でした。終わりもとてもあっさりしていました。「面倒くさいことがやっと終わった」「あとは最終報告のプレゼンをするだけ」と思っています。
今まで実習の度に、さんざん4000字程度の振り返りを書いてまとめてきました。それをやるのも正直嫌でした。でも、今日の分を書き上げてしまえば、それで終わりなんです。今では、発表の準備が面倒くさいです。
年明けの発表日には、職員さんは、私ともう一人の学生の発表を聞けないと言っていました。私の実習先の職員さんは誰も聞かないんです。「あっそう…」と思いました。逆に、実習先の知っている人が私の発表を聞かないのは、プレッシャーが減るので良かったです。
この実習を通して、私は薄情者であるというか、自分って心が冷めているんだな…と改めて実感されられました。すべてが他人事でしかありませんでした。私は当事者じゃないから、子供に感情移入することもなければ、子供と関わって心を動かされることもありませんでした。事務的な報告をするためだけに、実習に行っていたような気さえしてきます。
だから、本当に熱意を持って実習に臨めていた人は、その授業を履修していた約40人の学生のうち、どのくらいいたんだろう…と思いました。