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バツ印を打つ

外に出るといろんな人がたくさんいます。私はそんないろんな人たちの顔にバツ印を打ちたくなります。「あなたは違うからバツ」「あなたは気持ち悪いからバツ」「あなたを見るとイライラするからバツ」と自分で人を排除しているような感じになっています。人と話しているときも普通に話せているようで、心の奥底では人の顔にバツ印をつけて、自分から人を遠ざけようとしている気がします…。

人と話すと、私はエネルギーを過剰に消耗しすぎてしまいます。この人は私を傷つけるとか、敵であるとか、心の奥底では他人全員のことをそう思っているのかもしれません。私は平和主義者です。だから、人とのいざこざを避けようとして、「優しくて、大人で、おおらかである」みたいな塗料を自ら生成して、それを自分の表面だけに分厚く塗り固めています。

私は表面的な人との付き合い方しか分かりません。疲れちゃうから、ずっと人と一緒には居たくありません。多くの人は沈黙でいる時間を嫌います。私は人と話すのが苦手だから、沈黙でいる時間を許してほしいなあと周りの人に対して思います。沈黙の時間が怖いし、沈黙でいる時間を作ってはいけないと思っているから、「何か話さなきゃ。でも、何を話せばいいんだろう…。」って、いつも焦ってしまいます。だから、私の返答に時間がかかっても、何も言わずゆっくり待ってくれる人がいいな…って思うことがあります。そんな人が実際にいるのかどうかは、分かりませんが…。

周りの人に期待されると、がっかりされたくないから、その期待に応えようと頑張りすぎてしまいます。人の頼みや人からおすすめされたことを何でもやってしまいます。断る・途中でやめる、という選択肢がそもそも自分の中にない気がします。無理してやるから、だんだん自分の首が絞まっていって、いつも苦しくなります。相手の一瞬がっかりした表情や「そっか…。」っていう感じの反応を見たくなくて、自分の意見や願望を後回しにしてしまっているのかもしれません。もはやそれが私の癖になっている気がします。

自分の思ったことを素直に言えません。周りに嫌われたくなくて、人からどう思われるのかが気になって、Noと言うことができません。人に何か言われると、「やるに決まってるよね?この人はやらないわけがない」という相手の心の声が聞こえる感じがします。私のことを都合がいい人とみなされても、人の役に立てるならいいのかもしれないけど、自分が苦しくなるだけなのは、何とかしたいです。

私は普段一人でいるときは、本当に一言も喋らずにぼーっとしているだけだけど、人前ではなんとか明るくなれます。大人になるにつれて関わる人も増えるから、相手の懐にすんなり入り込む能力が重要になっていきます。人に好感を持ってもらえると称賛されやすいし、憎めない人になることができると思います。私は、愛想を良くして親しみやすくする、空気を読んで距離感を保つ、適度に人を褒めるということが一応できるので、人と話して嫌われることはほとんどありません。

相手に「なんかいい人そう」と思わせたら、こっちのものだし、それで勝ちです。周囲の人にそう思わせて、ちゃんと結果を出すことができたら、世渡り上手として生きていくことが可能です。打算的な考え方ではあるけど、「自分を魅せる」能力というのは、大人には必要なのかなと思っています。

それが本当の自分でないとわかっていても、人と円滑なコミュニケーションを取る上では、人に好かれやすい自分を演じてもいい気がしています。人を騙していることに対して、罪悪感を持っても仕方ないし、楽しい会話をするには、暗い自分を見せることなんてできません。私には持ち前の明るさがないからこそ、いつの間にか明るさを取り繕ってでも、人と会話するようになりました。でも、それは私にとって本当に大切な力です。

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