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類似性と相補性
私は寡黙でぶっきらぼうな感じの人が好きです。元気いっぱいでよくしゃべる人とは、一緒にいて疲れちゃいます。
私は女子トークというものが苦手でした。恋愛話や愚痴などを言われても、「私はこういう話は好きじゃないなんだけどな…」と思ってばかりでした。じゃあ、何を話したいの?と聞かれると、それはそれで困ってしまいますが、女子がよく話すことが私は何か合わないな…と思っていたんですよね。
女子よりも男子と一緒にいたいわけでもないし、私は静かな人が好きなので、性別を問わず落ち着いた人が好きです。特に深い話をするわけでもなく、たまに近況を聞き合うくらいの関係値が気楽で良さそうだな…と私は思います。私にとっては、それくらいが負担にならない気がします。
以前読んだことがある、対人魅力形成に関する論文の内容を思い出していました。自分と似た人を魅力的に感じるのか(類似性の効果)、自分とは似ていない人に魅力を感じるのか(相補性の効果)というものでした。私だったら、自分と似ている人に魅力を感じやすいのかなあ…と思いました。「類は友を呼ぶ」という言葉もありますよね。どちらかというと、似た者同士が集まりやすいのではないかな…なんてことを思いました。
似ていない者同士だと性格の凹凸がぴったりはまる場合もあれば、うまくはまらなくて、衝突してしまうこともあるんじゃないかな…と思います。似た者同士の方がケンカは起こりにくそうだし、仲良くなれそうじゃありませんか?論文でも、相補性より類似性を支持する内容が多かったんですよね。なんと、相補性を類似性の一環として捉えようとする立場もありました。双方の要求が相互の要求充足をもたらすという意味で、お互いに求める対人関係のタイプとしては、むしろ類似しているという見方も成り立つといえるそうです。
でも、変わり者である私に似ている人はなかなかいないような気がしています。変わり者同士だったら、仲良くできるものなんでしょうかね。まあ、仲良くなったところで一体何が生まれるのか…というのは、甚だ疑問でもありますが…。私は人と仲良くする意味というのがよく分かっていません。時間や経験の共有、気持ちを分かち合うことによって、安心感を得たり、心の支えとなったりすることはあるのだろうけど、私はそれを味わったことがない気がしました。