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擬態して生きる

私は自分が楽になれる選択をしたいけど、それがなかなかできません…。言い訳するとしたら、私のような人は少ないだろうし、少数派に属することが多いから、という感じになりそうです。

世の中は、基本的に多数派の人が生きやすいようになっています。少数派の私が自分らしく生きることは、かえって生きづらさを生むのではないかと思います。人に認知されたくないから、注目されずに、目を付けられることがないように私は擬態しています。私は多数派に紛れることでほっといてもらうことができると思うんです。

自分の気に入らないものに対して、容赦なく文句を垂れ流し、強制的に欠点なるものを克服させようとする人がいます。こうあってほしい、こうしてほしい、という自分の願望に合ってなければ、機嫌が悪くなります。勝手に役割を付与しては、相手がそれを全うできなければ、怒り狂うヤバい人が私は嫌いです。身勝手極まりないからです。

自分の中の“普通”という概念を覆そうとする存在を嫌う人もいます。そして、相手に“普通”を押しつけて粛清させようとするんです。まるで“普通”でない者=悪者のように扱うというのは、ひどいなあ…と思います。

相手が罪を犯したわけでなくとも、異端になり下がったわけでなくとも、自分の価値観にそぐわない行動をしている者を見つけると、攻撃し排除したがるんですよね。もちろん、そういう人が多いと言いたいわけではないのですが、ただ私が納得できなくて、批判したいだけです…。

私は自分のことをどこにでもいる“普通”の人だと思っていました。でも、本当はそうじゃなかったらしいです。だから、ただ無理やり“普通”っぽく、みんなに求められるままに“普通”を演じるようになりました。

誰にも気づかれないように、“普通”でない自分を隠すことを余儀なくされた気がします。私の自分らしさというものは、とうの昔に剥奪されてしまった気がしてなりません。自分でなくしてしまったのか、仕方なく奪われてしまったものなのか、どちらなのかはよくわかりません。

ただ昔と変わらず、今も人の目が気になるがゆえに擬態して生きているというのが、私はなんだかものすごく悲しいです。そんな情けない自分にまた落ち込みます…。

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