食行動の異常
朝ご飯を吐き出した話
私は朝食にいつもご飯と味噌汁を食べます。だけど、たまになかなかご飯が飲み込めない日があります。ご飯が飲み込めないときは、味噌汁で流し込みながら食べます。それでも、飲み込めないときは、口の中に無理やりご飯を押し込んで味噌汁を流し込んで完食したことがありました。でも、その後もどうしても飲み込めなかったので、全部食べたふりをして、トイレに行って口の中のものを全て吐き出したことがあります。
その時は、吐き出したい衝動を抑えられなくて、口の中にあるものを全部吐き出したけど、あんまりすっきりはしなかったのを覚えています。わりと最近のことでした。自分が咀嚼した食べ物で手が汚れました。自分が吐き出したものを見て、汚いな…と思いました。なんだかショックを受けて、罪悪感を覚えました。その後は、母に早く準備するように怒られました。私がいつも部屋のカーテンを全然開けようとしないので、それに関してもいつものように少し怒られました。
13歳の時の記憶
朝ご飯をトイレに吐き出したことを想起したら、私の中学生の頃の記憶が甦りました。
私の食行動の異常は、私が13歳の時から始まりました。ダイエットが事の発端です。私は中学2年生と中学3年生の時は、親に隠れて頻繁にチューイング(噛み吐き行為)を行っていました。チューイングとは、食べ物を噛んで飲み込まずに吐き出すという行為です。痩せたくて食べる量を少しでも減らしたかったので、家で食事するときは口に食べ物を入れて、食べ終わったと見せかけて、トイレに吐き出していました。チューイングは過食嘔吐の代替行為です。過食嘔吐のような胃酸逆流による歯の侵食とかは起こらないので、身体への害は少なめです。
でも、朝食を吐き出したときの私はチューイングというよりは、ただ単に飲み込めなかったものを吐き出したかっただけです。私は今でも、チューイングをまたやりたいな…と思うことがあります。忘れていたはずのことを今更思い出して、またやりたいと思うなんて、我ながらどうかしてるな…とも思います。チューイングなんかしても、罪悪感が生まれるし、心が痛んで苦しいだけです。
今年の1月に嘔吐した話
私は、今年の1月末に地下鉄の駅のトイレで嘔吐したことがあります。電車に乗ったら、元々良くなかった体調が悪化して、とても気分が悪くなりました。電車から降りて、しばらくベンチに座っていましたが、冷や汗をかいて、どうしようもなく苦しかったのを覚えています。目の前に砂嵐が巻き起こっているような感覚でした。荒波の中に溺れていくような感覚でした。そのまま意識を失って倒れるんじゃないかと思いました。死が頭に浮かびました。
自分ではどうにもできなかったので、助けてほしくて、ベンチから移動して階段を上りました。駅の改札のところまで行って、動けなくなったのでしゃがみこんでいました。しばらくしたら、駅員さんに「駅長室で横になりますか」とか「この先にトイレがあります」みたいに声をかけてもらえたので、トイレに行きました。トイレに行こうとしたら、吐き気がこみ上げてきて、何とか抑えながら、トイレに入ってから吐きました。胃液ばっかりで、気持ちが悪かったのを覚えています。吐いてからは、ぐったりして動けなかったので、30分、40分くらいはそのままトイレの個室で寝ていました。動けるようになってからはトイレで口をゆすぎました。そして、駅の出口付近にあるコンビニで飲み物を買って落ち着いてから、また電車に乗って帰りました。一人歩く帰り道では、悲しくて泣きました。
それから、私は体調が悪い時に電車に乗るのが少し怖くなりました。また吐いたらどうしよう…って、漠然と不安になることが今でもたまにあります。吐いたら、すっきりするような感じはあります。噛んだ食べ物を吐き出すだけでも、胃液ごと消化中の食べ物を嘔吐するのも、気持ち悪さがすっきりするような感じはあります。でも、私は吐くという行為が怖いです。
家での食事
私は親がいない時に、たまに家で食事を作って食べることがあります。でも、途中で食事を中断したくなることがよくあります。自分が食べられるはずの量を準備するから最後まで食べられるはずなのに、食べきるのに疲れてしまいます。食欲と睡眠欲は人間について回るものです。性欲は知りません。性欲はあってもなくても生きるうえで支障は生じないと思います。
私は食べても寝ても、食欲と睡眠欲が満たされているような気がしません。たくさん食べてお腹一杯になっても、たくさん寝てダラダラしても、幸福感を得られません。でも、お腹は空くし、眠たくはなります。何なんだろう…と思います。三大欲求より高次の欲求を満たすことに注力した方がいいんでしょうかね。
マズローの欲求5段階説をご存じですか?
それによると、生理的欲求(食欲・睡眠欲・性欲)、安全の欲求、社会的欲求、承認の欲求、自己実現の欲求という順で高次であるとされています。今の私が満たせているのはせいぜい第2段階の安全の欲求までだと思います。衣食住に困ることなく、一応帰る家があります。でも、それより高次の欲求を満たすにはどうすればいいのか分からないです。もう考えるのにも疲れました。何も考えずに生きてもいいのに、私は考えることがやめられません。考え続けないと、逆に生きられないのが私なのかもしれません…。
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