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発達障害の話
最近では、自称発達障害と呼ばれる人が増えています。「自分はADHDだから、遅刻しちゃうんだよね」「ADHDだから何もしてないと落ち着かなくて、ずーっとスマホを見ちゃうんだよね」という形でファッション感覚で言う人が増えていると言われています。私の身近にもそんなことを言っている人がいました。本当に困っている人は多くいるのだろうけど、そういう言い方では病名を盾にしている感じ、免罪符にしている感じも少しします。
病名を自称することは絶対悪ではないと思います。通院に至っていない人たちが社会の中で声を上げやすくなっているということでもありますしね。しかし、病気を自称することで疾病利得に甘えてしまうのではないかとも考えられます。
病気だと自称することで他人からの追及は減るかもしれません。「もっと頑張れ」「なんでそんなこともできないの」「しっかりしてよ」というのは減るかもしれないけれど、そういうふうに言われないが故に甘えてしまうことも増える気がします。甘えが許されないというのも苦しいですが、甘える人の存在によって大変な思いをする人がいる、というのも事実です。
自分のことを発達障害と決めつけることによって、「自分はできる、やれるんだ」という思い込みの力はどうしても弱くなってしまいます。だから、自らの可能性や能力を狭めるんじゃないか、将来の選択肢を狭めてしまうんじゃないかと思う蚊帳の外から見守る人達もいます。
もし、実際に自分に○○障害という病名がついたら、それを公表することで何らかの配慮や気遣いをしてもらえると思います。障害者手帳を発行できたり、福祉の力を借りられるという疾病利得もあります。しかし、同時に病名に関する先入観や偏見を持たれやすくもなります。身体的な怪我や病気でなければ、見た目でだけでは普通に元気そうにみなされるので、自分が病気であるとは言いづらいし、誰かに言うつもりも私は特にありません。
変に心配されたり、気を遣われたりするのも嫌だな…って、思っています。自分が知っておいてほしいと思える人のみに言ったらいい気がします。でも、私が自分のことをこうやって伝えられる場所はここくらいしかありません。ちなみに、私はASD(自閉症スペクトラム)の疑いがあります…。
病名に甘えてしまったり、自分を何かの枠にラベリングしたりすることによって自分の可能性を抑えてしまうことは大いにあると思います。診断をしていくことで得られる、個人にとっての総合的な利益と社会全体の利益、果たしてどちらに重きを置くといいんでしょうかね…。可視化しなければ物事の問題は解決できかねないので、どういうふうに一人一人の人間の生き方を考えたらいいのか、社会はどうあるべきか、について模索していくことが必要なのかもしれませんね。