『余白』を持つべし
4月2日の朝日新聞朝刊、
『折々のことば』にハッとしました。
以下、一部転載
テレビやネットの討論でも日常の会話でも、また時事問題でも日常の課題でも、是が非か、賛成か反対かといった○✖️の単純な二分法で思考するデジタルな傾向が強まり、判断に余白やためがなくなっているのが気にかかる
以上です。
こちらは渡辺靖氏(文化人類学者)の随想、
『余白なき時代に』からの抜粋であります。
最近は公私に関わらず、
「会話が続かない」
ことが気になっていました。
その理由がまさにここなのです。
ここでいう、
「是が非か、賛成か反対かといった○✖️の単純な二分法で思考する」
度合いがあまりにも過度になり、その思考から少しでも外れたら、
「違う」
「知らない」
「わからない」
などの理由から会話がクローズしてしまうのです。
別の視点から捉えれば、
「興味・関心のないことは一切ご法度」
とも考えられます。
人間、そして社会の成長のためには、
「『点』を『線』でつなぐ」
ことから始まります。
そのことを社会全体として改めて考えてみて欲しいと思います。
『デジタル社会』は、それにより効率化(主に『時短』)した部分をより『アナログ』な視点で捉えられる時間・機会を得られた人・社会に恩恵をもたらします。
その古臭い『アナログ』というワードを『余白』に置き換えて考えてみるのは如何❓
では
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