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こころと思考|よりよく生きる、内省する

noteとは別に,思ったことを書くためのノートがある。
コクヨの野帳,方眼タイプ。野帳らしい緑色と同じ色のSARASAで書いている。ペンは芥子色のバンドに付けている。野帳の緑と芥子色のバランスが好き。

野帳は毎日書くわけではなくって,自分の中にため込んでおきたくないことや,考えたいことが出てきたときに書く。書くときには,書いている日付と時間と場所も書いておく。

誰に見せるわけでもない,内省する時間。

よりよく生きるためには,内省が必要だと思った話をしたい。


野帳を読み返してみると,もやもやしたことに対して自分なりに解釈したり,対応を考えている跡がある。時間が経った今それを読み返してみると,そんなことにもやもやしていたのね,なんて思うこともある。

自分の変化って意識しないと感じにくい。テストの結果とか体重とか,数値で表せるものは変化を意識できる。だけど,変わった!って思えるほど,劇的に変わるわけでもないものだってたくさんある。ものの捉え方とか考え方とか,感じ方とか。

野帳を読み返してみると,当時のもやもやの一因となった人間は,今でも変わらずに過ごしていると思うことがある。今は,その人間が同じ行動をしていても,私はもやもやしない。その人間が今でも変わらずに何かに怒っているようすをみると,変わらない人間と変わった自分を感じるのだ。


変わりうることは,いいことだと思っている。
変わった結果が,いいか悪いかはわからないけれど。

もやもやすることがあるってことは,少なくともその点においては,よい状況ではない。よりよく生きるために,もやもやは減らしていきたい。
と言ったって,他者は変えられない。自分が変わるしかない。あるいは,自分が影響を及ぼせる範囲,自分の課題だと思うことに,懸命になるしかない。ただそれだけ。

よりよく生きるためには,内省が必要である。

何かに怒り続けている,変わらない人間。
彼女がそうあり続けたいと願うなら,それでいい。それは彼女の選択だ。

だけど,私は変わりうる人間でありたいと思う。


誰かがよりよい生き方を与えてくれるわけではない。
だから,内省する。そして,そのときどきの解を積み上げていく。

変わりたいと願うのではない。
変わりうる柔らかさを持ち続けるのである。


答えは一つではない。



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