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学び・考え方|語彙力向上と、思わぬ副産物と。

今日は漢検を受けてきた!

死産による産後休暇、
手持ち無沙汰な日々となることを懸念して、
産後1週間で受検を決めて申し込んでいた。

思ったような日々ではなかったけれど、
受けることにしてよかった。

不出来な自分に向き合って、
そんな自分でもいいって思えた。



ーーー

漢検2級を受けると決めた。

やりたかったことをやると決めた産後休暇、そのうちの一つが受けたかったけれど受けるに至っていなかった漢検2級だった。テキストだけは購入し、目につく本棚にあったけれど、受検するためのあれこれは何も調べられていなかった。

産後1週間のとき、日々にメリハリをつけるために継続して勉強する機会を設けたかった。で、調べてみたらCBT(computer based test)があって、割といつでも近場で受けられることを知った。勉強の予定とか、見通しとか、そんなことは考えずに、勢いで日時を決めて申し込んだ。受検までおよそ40日である。



語彙が増えないと感じていた。

あるとき、幾星霜という言葉を石碑で見て、その表現を初めて知った。こうやってnoteを書いていても、誰かとコミュニケーションをとっていても、自分の知っている言葉しか紡げない。本を読んでいないはずではないけれど、言葉に注目して言葉に熱中することはなかったんだと思う。

そんなことで漢検2級を受けたいと思っていたけれど、仕事に直接関係はないことは、ついつい後回しにされていた。



ひっそりと、ほんの少しずつ勉強を始めた。

合格ラインは8割なのに、最初に書き取りを始めたときは、5割しか取れないありさまだった。2級の漢字は見たことあるし、読めるからこそ、書けないもどかしさがあった。社会人になって久しい、唯一の正解がある問題たち、それは楽であり、一方で自分の至らなさを突きつけられるものでもあった。

四字熟語なんて、聞いたこともないものばかりだった。
「比翼連理」は最近のアニメで出てきて、その名付けをした物語の作りになるほど!っと思った。「一陽来福」っていうお菓子があったけれど、そういう意味が込められていたのね、と暖かい気持ちになった。これからの私が、こうだといいけれど、今は「隠忍自重」で「泰然自若」でありたいなと思っている。「冷汗三斗」は一斗缶3つ分の汗と思うと、どんな経験で生まれた言葉なんだろうと思った。さぞ怖かっただろう。他に「山紫水明」「春宵一刻」「春日遅々」「千紫万紅」など、自然の美しさは言葉に残したくなるものなんだと、それは今も昔も変わらないはずで、もっと自然の美しさに気づける日々でありたいと思った。「会者定離」「飛花落葉」「生々流転」「有為転変」など、世界の見え方の、儚さを知った。四字熟語が一番、おもしろかった。



自分の不出来に向き合った。

私はできない自分が嫌でしょうがないくせに、地道な努力に励むわけでもない。できないと思うものは、やらない方がマシって思っちゃう。やらなかったら、できないことと向き合わなくていい。やらなかったら、できる可能性が残る。そんなんじゃ、新しい世界を楽しむことはできないって思うけれど、できない自分と向き合うって、その世界を諦めてもいいと思ってしまうほどに、嫌なこと。

やればやった分だけできるようになった。だけど、あと数日のところで、合格するかどうかわからないという気持ちになった途端、勉強が楽しくなくなった。すごくイライラした。受けたくなかった。合格できないなら、私の今までの勉強は無価値だと思った。なんなら、私は無価値だって思った。飛躍にもほどがある。

だけど、今日、私は最後まで勉強して、受検した。
不安だった送り仮名と四字熟語をやり直した。今日の試験までに勉強したことが、試験にも出た。私にとって、きっかけとなった言葉も出た。嬉しかった。



合格したかどうかはわからない。

だけど、それが問題ではない。産後休暇を健やかに過ごすためのアンカーとして漢検を選んだ。ほどほどの負荷で、日頃使わない頭の使い方をして、語彙も増えた。目的は実はそれで達成できているんだと思う。

ついでに、不出来な自分と向き合って、やり通すことができた。どうせやるなら合格したいし、欲は出ちゃうし、不合格だなんて嫌だけど、もし不合格だったら、それはそれで、できない自分を受け入れてあげられるきっかけになる。もし合格だったら、努力を褒めてあげたい。不十分な努力しかできていないと、イチかゼロの思考でイライラしていた私に、行動することの大切さを教えてあげたい。どっちにしても、私にとって漢検の受検には意味があった。



語彙力向上と、思わぬ副産物と。

次はきもの文化検定か、ロシア語検定か。
実はちょっと味をしめている。




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