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ちょっとしたウソを覚えたい私は,ずるいんだろうか。
ちょっとしたウソを覚えたい。
自分を守るためのウソ。
誰かを傷つけないためのウソ。
こんな気持ちになる私は,ずるいんだろうか。
ーーー
最近はほぼ定時退勤をしている私。
残業代は微塵も出ない。
それでも仕事なんだと思って,過ごしてきた。
睡眠時間が少なくても,土日は休むだけで精一杯でも,未来を育てるために,労働者であることよりも使命を優先していた。やりがい搾取と言われる業界で,ブラックだと話題になって担い手が少なくなっている業界で。
今の労働環境が労働者にとっても,業界にとっても良くないことは明らかである。それでも旧態依然とした業界は変わりそうにない。変わる兆しが見られた中でのコロナ禍,働き方改革は逆行した。変わる兆しは儚くも消え入りそうである。
だからこそ,自分のために,未来のために,ひとり働き方改革をしている。
大人が陰った気持ちで働いていては,未来も何もない。
未来は悪くないと,そんな希望でありたい。
ひとり働き方改革を進めるにつれて,心身が健康になっていることを感じる。
仕事は誰よりもしているという自負がある。
定時に帰るからには,むしろ誰よりも働かなくてはと勝手に思っている。
仕事が少ないから早く帰れるのではないのだ,と。
誰にも文句は言わせない,と。
(ただ意地張ってるだけとも言えるんだけれど。)
それでも定時には帰れるように工夫をしている。
(残業はしていないけど,早出はしているから,結局労働時間は短くはないのだけれど。)
結果として,メリハリがつくようになった。
それに,早く寝るから,早く起きる。
朝は誰にも邪魔されずに仕事ができる。
パフォーマンスは上がった。
そして,業務時間外にぐだぐだと悩むことが減った。
と,こんなふうにひとり働き方改革は,一定の成果を収めていると言えよう。
で,問題は,定時を過ぎた後,帰ろうとしているときに,今である必要がないことで呼び止められることに,もやもやしてしまうことである。
仕事においては,自分でコントロールできているという感覚がストレスを低減させるらしい。確かにひとり働き方改革を進めていると,自分で仕事をコントロールできているという感覚がある。
仕事の量も改革が必要なのかもしれないが,自分でコントロールできている感覚こそが大切であると実感している。
しかし,仕事であるからには急な仕事,自分ではコントロールできないことも起こりうる。勤務時間内であれば,私はそれに対応する義務がある。それが仕事である。
では,勤務時間外は?
ーーー
私はちょっとしたウソを覚えたい。
勤務時間過ぎたんで,なんて角が立つこと,私は言えない。
時間が全てではない。私だって残ることはある。
それに,なんてことないコミュニケーションがより良い組織を作ることだってある。それを杓子定規にシャットアウトするなんてことは,私はしたくない。
それでも,定時を過ぎたからには,帰ったっていいのである。
通院するとか,家事をするとか,本屋に寄るとか,
本当のことは言いたくない。
だってそれは,私の時間だから。
だから,私はちょっとしたウソを覚えたい。
こんなふうに思ってしまう私は,ずるいんだろうか。