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だったら、私は
今になってコロナに罹患した。
職場で研修があった日,50人近くの人間が一部屋に集まって1日過ごしたあの日。トイレから戻ったあの部屋の空気は,もわっとしていた。
たぶん換気なんてしていなかったんじゃないかな。
具合が悪いのは,私だけではないらしい。
あの日は嫌な感じだったんだ。身も心も。
研修を仕切る同僚が,
みなさん!お金のために働いているわけじゃないですよね!?
なんて笑顔で言っちゃったりして。
曰く,
忙しい職場だから,もしお金のために働くならば,他の環境にいるでしょ?この環境にいるということは,お金ではない価値を感じているということですよね!それって,○○ですよね!!
あーあって感じだった。
業務量と賃金が見合わないのは事実で,同業他社に行った方がよっぽど割がいい。だからといって,その人の言う○○に言うほどの価値を感じているわけでもない。お金のためではない,だなんてこともない。
こういう風土が嫌なんだ。
どれだけ○○に価値があったとしても,対価として賃金を得ている労働であることに変わりはない。業務として必要だから行っているにも関わらず,「お金のために働いているわけじゃないですよね!?」だとか,そうだ過去には「いいね,無償の愛だね」だとか,そういうのは,嫌いだ。
私が何に価値を感じているか,決めつけてくれるな。
私の労働を無償にしてくれるな。
その人の言う○○ではないところで,私はやりがいを感じているから,ここに勤めているわけだけれども,なんだかもういいかなという気分にもなる。
コロナ療養中の気の迷いなのか,コロナ療養中だからこそ自分に素直になれているのか。
ずっと揺れて,悩んでいることがある。
異動するか,しないか。
身を粉にして働いて,長い通勤時間で,満員電車に揺られて,私生活を犠牲にしてまで,何をがんばっているんだろうと思うことがある。
○○ではないところで魅力を感じる今の職場は,自己実現の場として,たぶん,すごく適している。一方で,犠牲にしているものも多い。
何が正解だということはないからこそ,自分が何を大切にしたいのか,それが問われている。
脳内でリピート再生されるあの場面,
みなさん!お金のために働いているわけじゃないですよね!?
だったら,私は何のために働いているんだ?