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しごと│心地いい関係と、攻撃的な人と。

今の職場にきたとき、
あまりの風通しの悪さに、
居心地の悪さを感じていた。

今は、というと、
当時に比べれば格段に過ごしやすくなった。

けれども、それは一側面でしかなかった。



ーーー

格段に過ごしやすくなった理由のひとつに、
多くの人が挨拶をするようになったことがある。


その結果、コミュニケーションの量も増えた。


それはわざわざ時間をとるコミュニケーションではなくて、立ち話程度の小さなコミュニケーション。

小さなコミュニケーションは、ちょっとした変化を知ることになったり、その人がいま余裕があるのかないのかを知ることになったりする。

わざわざ相談するのも…と思うような小さな悩みを相談できると、仕事がサクッと済むこともある。助け合おうと強く意識しなくても、会議をしなくても、チームで仕事ができる。


結果として、自然とパフォーマンスが上がる。


いくら仕事とはいえ、人間だから、もちろん合わない人もいる。でも、仕事だから、それなりに接する。大人として、社会人として。

私という一個人に対して賃金をもらっているわけではなく、労働に対して賃金をもらっているわけだから、合わない人とも適当に接する。必要以上に関わらないけれども、邪険にもしない。必要以上に助けることもないけれども、適当に恩は売る。


それが社会人かな、と思っている。
が、今でも過度に人を攻撃する人もいるらしい。


私自身も被害に遭ったことはある。
今はその人と仕事をすることもあるけれど、それなりに、適当に接する術を覚えたから、特に被害を受けることはない。決して好きではないけれど、仕事だから好きになる必要もない。


今、執拗に攻撃されている人がいる。
それはとても悲しいことで、ショックだった。


辞めていったあの人も、あの人までも、実は被害者だったと知った。
傍観者もいじめているのと同じというけれど、私に何ができるのかと思う。フォローはできる。闇にのまれる前にと光を増やすことはできる。だけど、闇に直接対峙する勇気はない。


攻撃する人が人を攻撃しなくて済むようになれば、誰も悲しまなくて済む。誰も傷つかなくて済む。

攻撃する人も助けを求めているんだと思う。
もちろん、だからといって、その人の行いが正当化されることはないけれども。

傍観者がその人の攻撃性を助長しているのかな、とも思う。上司だって手に負えなくなっている。



いろいろ考えちゃうけれど、
考えるだけではよくはならない。

少しでも闇に対する光が増えるよう、
私は私の周りから、
みんなが健やかでいられるようにしていきたい。






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