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不妊治療・妊娠・死産|理屈じゃない愛を知った。

妊娠25週,死産した。

まだ気持ちの整理はつかない。
ふとしたときに涙があふれてくる。

まだお腹にいる気がする。
だけど,我が子はもういない。



ーーー

妊娠24週,ちょうど前回の記事を書いた日の夕方,
子宮内胎児死亡の診断を受けた。

我が子の心臓は,動いていなかった。



診断を受けるちょっと前,NHKで流産・死産・新生児死の特集をやっていた。たまたまTVをつけたらその番組で,なんとなく見入ったことをよく覚えている。他人事ではないような気がして,番組を見ながら号泣した。

私は感覚的に死産を感じていたのかもしれない。



我が子は今までに何のトラブルもなく,おなかの中ですくすくと育っていた。つわりも軽くて,今までと変わらずに仕事ができるほどだった。

胎動が感じられるだろうという頃,もしかしてこれかな?と思う感覚はあったけれど,まちがいない!と思えるほどの胎動はなかった。胎動があれば,我が子の異変にいち早く気づいてあげられたのかもしれない。

だけど,私は気づくことすらできなかった。

今まで心配かけずにすくすく育っていた親孝行の我が子は,兆候もなしに,静かにお腹の中で亡くなっていた。



最後に胎動らしきものを感じたのは,定時を3時間以上過ぎて残業の会議をしていたときだった。あれが我が子の最期だったのかもしれない。

仕事でストレスフルだった私に,最期の挨拶をしてくれたのかもしれない。


その翌々日に,私の身体には赤い発疹が出た。
あれは我が子が亡くなったしるしだったのかもしれない。

あのとき皮膚科ではなく産婦人科に行っていれば,我が子は生きていたんだろうか。あのとき残業しなければ,仕事をセーブしていれば,我が子は生きていたんだろうか。私は我が子を生きて産んであげられなかったんだ。



我が子は,とてもかわいかった。
子宮内で亡くなっていた我が子は形を保っているんだろうかと心配だったけれど,400gにも満たない小さな小さな男の子として産まれてくれた。目を開けて産まれてくれた我が子と,出産直後だけ目を合わせることができた。あの潤んだ瞳を私は忘れない。私は彼を守ることができなかった。



私は不妊治療をしていたけれど,母になることを受け入れきれないでいた。

自分が女性として出産・子育てをする感覚をもてないでいたし,仕事を休むことに抵抗があった。それでも旦那との子供が欲しい気持ちに偽りはない。

だけど,我が子を抱いたとき,これ以上に大事なものはないと知った。

亡くなって産まれた我が子にどんな言葉をかけたって,反応は返ってこない。だけど,私は間違いなく我が子を愛している。仕事柄,愛することをスキルとしてきたけれど,理屈じゃない愛ってこういうことなんだと初めて知った。



私は妊娠を手放しに喜べなかった。
不妊治療を通して,期待と失望の連続の中で,ニュートラルな心持ちで過ごすようになっていた。期待したら期待した分だけ,失望が大きくなってしまう。そんな状況で,仕事と両立しながら不妊治療をすることはできなかった。だから,期待はしない,淡々と取り組むことを覚えた。

職場には機を同じくして妊娠した人がいる。
彼女はとても無邪気に喜んでいて,職場にいる数年前に出産した人たちも彼女と無邪気に話していた。私はあんなに無邪気にはなれないし,その無邪気さを向けられたくなかった。

私は今でも,職場の人に言われた無邪気な言葉が消化できないでいる。
私が不妊治療をしていることを知りながら,彼女はこう言った。

私,産休に入るの。生理が3か月来なくて不安だったとき,あなたが不妊治療をしているって聞いて,勇気づけられた。ありがとう。

(これは,別途記事にしている。)

今でもなんて答えるべきだったのかわからない。私は子供が欲しくて数年前から不妊治療をしていて,一度も妊娠に至らなくて,それでいて,ありがとうって言われる意味が分からない。

私はこれ以上,無邪気な人の言動に傷つきたくなんてなかった。



職場で妊娠を打ち明ける人も自分でかなり制限していた。
それでも妊娠25週,産休に入るために関係各所に伝えたり,引継ぎの準備をしたりしていた。だけど,私は死産することになった。


死産でも産後休暇がある。
私は今,働いてはいけない。


体は大丈夫だけれど,心がついていかない。
ニュートラルな心持ちを身につけていたつもりだったけれど,我が子の死はそういう問題ではない。やっと授かった我が子,彼と過ごす未来の片付けをしなければならない。私は彼に何もしてあげられなかった。生きて産んであげることができなかった。

医者は母体のせいではないというけれど,自分を責めないではいられない。



働き方,生き方を見直したい。
かわいくて愛おしい我が子よりも大事なものなんてない。



火葬までの限られた時間,できるだけ我が子と過ごした。
夕空と朝空を一緒に見た。秋晴れの高い空,幻日が見えた日だった。






ーーー
言葉にすることで,我が子がいたことを実感していたい。
だけど,言葉にすることで我が子との思い出が霧散してしまうようで怖い。

50人に1人が死産だという。
死産がわかったとき,死産についての知識を得るとともに,その経験談を読みあさった。死産の現実は変えられない。だけど,一人じゃない感覚は救いになる。私が救われたように,誰かのために記録に残しておきたい。

だけどそれは,もう少し落ち着いてからにしたい。

今はまだ,時間が欲しい。



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