不健康と創作
往々にして偉大な文豪やロックミュージシャンは、ある種自己破滅的な不健康さの混沌から珠玉のワンフレーズを生み出しているような感があるけれど、全てがそのパターンではないと僕は思う。
作家の村上春樹は「走ることについて語るときに僕の語ること(https://amzn.to/3rOAbpP)」で毎朝早く起きて走り、午前中に一気に書き上げ、夜は早く寝るといういかにも健康的な生活リズムを語っているし(そのお陰で人付き合いが悪くなってしまったことを少し寂しそうにもしているけれど、あくまで読者の方々へ良い作品を提供し続け、そこで得られる読者とのコミュニケーションを第一にしているといった考え方は、とても勇気づけられる)、もう少し広げて「天才たちの日課(https://amzn.to/3yon0Qn)」でも、様々な天才たちは意外にも健康的な生活を送っていることが分かる(もちろんサルトルやカポーティのように絵に描いたような破滅型の天才も紹介されているけれど)
そして僕は文豪でも天才ミュージシャンでも何でもないただのサラリーマンだけれど、心身の(特に身体の)健康を蔑ろにしてまで創作する気は全く起きないどころか、日常生活すら儘ならない状態に陥ることが改めて分かった。
つい最近第二子が産まれた。産前産後はやはり妻子が第一優先になるから、必然と独りの楽しみというか、ギターを爪弾いたり気ままに映画を観たりする時間も取れず、さらに友人と食事に行くことも叶わなかった。
先週でやっとひと段落ついたので、前々からお誘いがあったり久しぶりに会いたい方々と怒涛の会食ラッシュを実行したところ、最高に楽しかった反面週末は何をするのも億劫になるレベルで眠りこけてしまった。
どんなにやりたいこと、観たいもの、読みたいもの、食べたいものが頭に浮かんでも、身体がピクリとも動かない、その結果心のワクワクも一瞬のうちに萎んでしまう。果てには自分は何のために生きているのだろうかとさえ思うようになる。
在宅勤務がずっと続いてからの頻繁な都内通いや、秋から冬に変わる過程での急激な気温の変化も手伝ったのだろうが、とにかく凄まじい反動を喰らった。
もう少し広げて話すと、月並みだけれど僕は実にマズローの欲求五段階説に則っている人間であるということも改めて分かった。
まず生理的欲求、身体の健康が損なわれると全てが楽しくなくなるし、次に安全の欲求や社会的欲求は僕にとって快適な衣食住や家族、近隣住民との友好的関係になるけれど、これも一旦は満足のいくレベル(僕にとってはという意味であるけれど)に達した。今後も観葉植物を育てるように適度に様子を見て適度に手を掛ければ安定すると信じている。
次の承認欲求はどうだろうか。今まで満足と不満足の間を行ったり来たりしていたけど、ここ数年はやっと仕事の要領を掴んだ感じがしたからか、落ち着いている。
そうなると次は最後の自己実現の欲求になるけれど、これは少し分かりにくい概念である。
僕なりの解釈としては、もし一生困らない程のお金を手にした場合に思う存分何をしたいかという問いが一つのヒントになる気がしている。そうすると僕の場合はこうして物を書いたり音楽で自己表現、創作をすることが自己実現にあたる。
なんだ世界一周したいだとか、はたまたアマゾンの森林を守りたいなんてことでもないのにさっさとやりゃあいいじゃないか、と言われそうだけれど僕にとってはそんな簡単な話ではない。
現にコンビニバイトで日銭を稼ぎながら富士そばで毎日胃袋を満たしつつ四畳半風呂無し玄関共同のボロアパートで段ボール箱の上にMacbook広げてDTMに夢中になっている人もいるだろうし、そうした彼/彼女らは日々の創作が自己実現より下位の欲求のどこかに食い込んでいる、もしくは恐ろしいほど各欲求のハードルが低いから衣食住が最低限満たされていればあとは好きなことやれて幸せという何ともゴールに近い羨ましい人達なのかもしれない。
でもとりあえず今世ではそんな境地に行けないことが分かった。やはり積み上げていかないとのびのびと創作できるような状況にたどり着けない。
先に述べた通り、不健康は全てを台無しにしてしまうし、衣食住や家族との関係が崩れると仕事やましてや創作どころではない。
また、日々の暮らしや(会社、引いては社会への還元を含めた)承認欲求に関しても、下位の欲求と同じように、例えば状況に応じて適度な鉢に植え替えるように、肥料を挿すように、絶えずチューニングが必要である。
ピラミッドのように、それら下位の欲求の土台の上で初めて自己実現に辿り着けるのである。ゆえに非常に歩みが遅い(という言い訳だけかもしれないけど)。
健康を害せばそれを取り戻すことが第一優先になるし、家族との関係や、仕事においてもそうである。
ただ、そのあたりがグラグラしていた20代に比べて30代に突入してからはだいぶ安定したように思える。でもそれは絶え間ない失敗と修正を繰り返したからこそ辿り着いた今だとも感じる。
これからも土台がぐらつく度に中断するだろうけど、コツコツ創作は続けていきたいし、続けていく中で起こるであろう様々な巡り合わせは楽しみである。
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