見出し画像

上達とは足し算ではなく引き算では、という話

 何かのテーマや目的に関して、「出来ていない」という自己認知を持つためには、反対の「出来ている」という対の状態やイメージが存在しなければならず、これら両方合一で初めて「上達する」ための前提が整う。

  我々は当然のように、過去に「原因」がまずあって、今とこの先の未来に結果が生まれると思っている。多くの人が勘違いしがちであるが、今の「出来ていない」状態から何か努力や作業を積み重ねて、いつの日か「できる状態」に到達するという世界観ではない。時間の矢は過去から未来に流れているという感覚がそもそもの間違いのもととなる。

 実際は全く異なり、未来の「出来ている状態」と過去の「出来ていない上状態」その両方が重なり合った状態で存在しており、その狭間が今この瞬間なのである。言い換えれば、過去も未来も今自分で発生させているのであり、因果はただの勘違いという事であり、それはどのような事かというとどのような状態も今選ぶことが出来るという事である。ただ実際に何かがもたらされるのは時間差がある場合が殆どであるが。

 そこで重要になるのは、この先に向けて積み重ねる、得る、身に着ける、という感覚ではなく、引く、省く、削り取っていく、という感覚だ。

 大切なことは全て再現性であり、シンプルな関数(ファンクション)であり、五感を通したインプット、脳の処理、体のアウトプット、競技によっては道具を通したアクション、これらの繰り返しの正のフィードバックでしかない。

 出来ていない状態と出来ている状態が合一になるために、これらの要素のどこにノイズがあるのか。認識をして省いて削り取って修正して、再現性を高める作業、これが上達であり練習の本質だ。

 今この瞬間、彫刻家の前に佇む巨石には、ただの石と傑作、因と果、全ての状態が合一し同時に重なり合い、行ったり来たりしているのだ。

いいなと思ったら応援しよう!