オリンピック閉会式 - 外資系サラリーマン目線の日本
こんにちは。
初めての投稿ですが、昨日のオリンピック閉会式を見てモヤッとしたものがあり、今日のニュースを一通り見て、思うことがありました。(以下常体)
一番私の印象の的を得たのが、デーブ・スペクターの意見。いろいろな制限がある中での実施は大変だったと思うが、正直な印象、分かりづらい演出が多かった。当然、もっとよくできたはず、という期待が背景にある。
分かりづらいの定義は、基本的には国際社会目線。カオスを表現したとされる若者の集まりや、最後の子供達の芝居等は、海外の視聴者からは意味が伝わりにくい、また同時に退屈に感じてしまったと思う。おそらく多くの視聴者は、終盤で繋がれたパリの映像とそのダイナミズムを観て、こうあるべきだ、と思ったのではないか。
どんな状況であっても、これはオリンピックの閉会式であり、世界中の人が見ている。本当のダイバーシティ&インクルージョン(D&I)は、万人に等しく分かりやすく、楽しいと思えるものにすべき、という根本から逸脱しているようにしか感じなかった。
こういうイベントになると、多くの場合、当然ながら日本の大手広告代理店経験者が手がけることになる。日本のCMを見ての通り、あの独特の感性や表現に慣れた人達の感覚がベースになっていると思うと、国際社会の視点に立ったメッセージの配信できるとは、あまり期待できない。
もう一つ、共感出来たのは、おしつけでは、という見方。これは今後も日本人が注意すべきポイントだと思う。日本の文化は幸い、海外からも好意的に取られてはいるが、特に文化面では、あくまで深みを知った上での評価が多く、初見の外国人にはわかりにくいもの、またとっつきにくいものである、という認識は必要である。
個人的な意見としては、オリンピックの式典ならば、政治的なしがらみもない場なので、日本人も英語でスピーチできないか?練習をすれば、発音も最低限伝わるレベルまでは準備できる。バッハ会長のスピーチが長いというコメントもあるが、彼はドイツ人で英語でスピーチしている。英語で話す方が伝わるメッセージは大きい。D&Iとはネイティブでもない英語も受け入れる社会。日本が変えられる点は、ここからだとも思った。