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舞台「十二人の怒れる男」の感想

このところ、忙しさもあって更新モチベが上がっていなくて、これは良くないと(笑)

先月、今月といくつかの作品を見たので、感想を少しまとめておこうと思います。

まずはシアターコクーンの「十二人の怒れる男」です。映画ではヘンリー・フォンダ主演のものが有名です。日本ではこの作品はもちろんのこと、この作品をモチーフに三谷幸喜さんが「12人の優しい日本人」という作品を書きあげています。

今回はシアターコクーンを全景取り囲む形の舞台設定でステージが組まれていました。休憩なしの二時間弱、とにかく引き込まれた内容です。

全員一致での評決に異を唱える8号陪審員が、堤真一さん。素晴らしかった。決して感情を大きく高ぶらせることなく、他の陪審員が口にした証拠や根拠に対して、疑問点を提示し再考を促す。そうしていく中で最初は犯人とされた少年への先入観が他の陪審員の中でも変化していき、結果的には無罪となる。この8号の役が非常にポイントの中で堤真一さんは、感情の抑制を台詞回しで見事に演じていて、素晴らしいという言葉しかなかった。声質もあると思いますが、劇場内にすーっと通る声が他の陪審員へ語りかけるたびにこっちが説得されていく気分です。それくらい論理的かつ理性的に人へ語りかけることの上手さと難しさを見せてもらったと思います。

これは自分の仕事での状況も同じだなあ、、、、とホント痛感しました。

それと逆に先入観が最後まで拭えなかった3号、10号の二人。山崎一さん、吉見一豊さんのお二人ですが、こちらも違った意味での熱演で、決して嬉しい役ではないのですが、それでもこれが一つの現実でもあるということを実感させてくれる演技だったと思います。

まず10号の差別主義、排他主義は現代にも普通にあるし、この強迫観念だったり、排除意識は間違いなく人の中に存在する。それが現代社会ではネットなどの普及に伴い、敷居が下がったり正しい情報の発信も含めて、理解が深まり相互理解も進んでいます。ただ10号のような排他的な思想をいかになくしていくかは、この舞台の中でもあったように粘り強く伝えていく、実例を見せていくという手段以外はないということも確かかなと。ましてやその人の人生における経験上できっかけで排他主義が生まれた場合は、なおさら厳しいと。それでも宗教上の相違も含めてこういった対立は、人と人というつながり以上にその人のコミュニティ全体の問題として残るだろうなと。

10号の思想は結局の所、思想の自由というよりは、差別主義に基づく偏見という要素のほうが強いので、最終的には他の陪審員の支持を得ることなく終わりますが、こういった思想の消える日は社会という枠組みの中では、難しいだろうなあ、、、という感覚を改めて実感しています。

もう一方の3号は自分の子供と被告を重ね合わせて罰しているわけですが、これも非常に人間らしい思考で、ましてや客観性というものが、自分というフィルターを通して情報が精査される以上、公平性がきちんと保たれて判断することができるのか?を表していたと思います。自分の子供の振る舞いは、もちろんその人に対してしか当てはまりませんが、そういう世代を一括にしてしまう見方は、間違いなく年齢を重ねるほど起こりうる話です。そしてそのことをさもきちんと俯瞰的に見ているかのように話して、しかし実例は自分の身近な人間の話に置き換えて判断をしている。フィルターが当然狭く、客観的情報が圧倒的に足らないわけですが、それでもその世代全体や特定の対象への評価につなげてしまう状況は、これも自分の大きな勉強だなと。

そういう主観的な判断をいかに崩していくことが大変な作業であるかが、この二時間の中でも実感され、さらにそういうものに対して感情ではなく理性的に対処することの難しさ、そして可能性というものが改めて痛感される芝居です。

もうひとり素晴らしいのは4号の石丸幹二さん。違った意味での冷静さと判断を見せてくれています。4号も決して先入観や思想で語ることなく、状況証拠から判断をした上で有罪としますが、討議の中での変化から、判断を修正し最終的にはその状況証拠に嫌疑アリとなった時点で判断を変えていきます。この4号と8号の話が進むことで、むしろ疑問点が浮かび上がり正しい方向へとつながっていく。堤さんと石丸さんのやり取りは非常に対照的と同時に、見事な論理展開で評決を決めていく話を見せてくれていました。

7号の冷めた感覚、5号の感覚をうまく言葉にできないながらもきちんと向き合う姿勢、9号の年長ながらも8号への意見を意見を向ける謙虚さ、などなど個人的には、今の自分を取り巻く社会そのものへの切り出しと同時に、決してすべてが悲観的ではなく、なにか物事を解決していく道筋には理性的な姿勢が必要であるということを改めて感じることができた非常に楽しい舞台でした。

これを見たあとに改めて三谷さんの作品をみると、これもいかにすばらしい作品かということが実感できるので、二度嬉しい観劇でした。

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