変わるもの、変わらないもの 「朝日のような夕日をつれて2024」の感想
10年ぶりの「朝日」はやはり紀伊国屋ホール
前回は2014年の紀伊国屋ホール開場50周年記念でした。このときの感想は、はてなに書いたものを、noteに転載しました。
自分の観劇体験の中でも「朝日」はやはり特別で、最初に観劇したのは、第三舞台人気が絶頂期の91年版、ほんとに運良くチケットのキャンセルが出たので見ることができました。
その時から長い時間が立ち、ついに大高さんも小須田さんも年令を重ねて、この舞台をやるには体力が、、、、という部分もあるかもしれません。
新しいキャストで、ついにこの作品が帰ってきたことを本当に嬉しく思います。
そんな「朝日のような夕日をつれて2024」を見た感想をかんたんに残しておきます。
2024年にこの作品を見るということ
10年という年月の中で、時代も大きく変わり、コロナ禍を経たことで、人のつながりも変化したと思います。また演劇という世界も変化している部分も大きく、今回の「朝日」をどうみせるのか?はとても注目でした。
そして良い意味で変わったし、そして変わらなかった。
キャストは変わりました。大高さんも小須田さんもいない。もちろん筧さんも勝村さんも京さんだっていない。91年とは違うわけです。
ただ「朝日」という一つの作品の中にある玩具をひっくり返したようなごった煮の情報の中に、役者のほとばしるエネルギーをひたすら受け止めること、そして役者はハイテンションを維持しながら、自身の体力のすべてを二時間に込めて、情報の渦の中に自身の立つ場所を見つける、、、そんな演劇がやはり2024年にも演じられていることが嬉しかったです。
素晴らしき俳優陣
今回の5人、新しいけど変わらない「朝日」を体現してくれた素晴らしい5人でした。
部長役の玉置玲央さん、最近は「光る君へ」で話題でしょうが、自分は2014年版で見ているし、他の舞台でも多く拝見し、そして何より我が推し「若月佑美」さんの旦那さん!そんな素晴らしい方が部長=ウラヤマを演じている。エネルギッシュで迫力ある演技、さすが「柿喰う客」の看板の一人です。
社長役は小松準弥さん、舞台で映えますね、立ち姿が凛々しい。基本、玉置さんと並ぶわけですが、大高・小須田世代の自分が見ても、いい二人の掛け合いだったし、切れのある動きでした。やはりこの舞台では「動き」大事ですから。
マーケッター=ゴド2が稲葉友さん、研究員=ゴド1が安西慎太郎さん。個人的には稲葉さんのマーケッターはうまくハマっていたという感想ですが、それ以上にすごいと思った安西さんの演技。途中、ゴド1として演技が始まる部分から、台詞回し、表情、ダンス含めた動き、全てが圧巻。とにかくすごいと感じた演技です。Xでもつぶやいたのですが、途中の表情が第三舞台の大先輩・池田成志さんに重なって、これはもうすごいと。あれだけの動きを連日みせていたかと思うと、、、、安西さんはすごい役者さんにさらに変わりそうな気がします。
医者=少年役が一色洋平さん。いろいろな場所で出たかった作品と話していたので、本人は感慨深かっただろうなと。少年なので、コメディリリーフでもあり、何でもやるわけですが、一色さんは楽しそうに演じていらしゃって、こういうキャラクターの方がいるから、この作品の「軽さ」の部分が引き立っていくと感じます。
正直、大高・小須田のいない「朝日」はずっと見てきている人にとっても、そしてそういうお客さんが多く来るであろうことを考えた制作側も、いろいろと思ったでしょうが、そんなこと関係なく2024年版として、この五人が見せてくれたことに感謝したいです。
変わらないこと、変わったこと
根本のストーリーは何も変わらない。倒産寸前のオモチャ会社の世界とミヨコの世界がどうシンクロするのか?そして現実と遊びの世界をつなぐアイテムを描くことで、彼らが待っているものはなにか?を描くという構図は何も変わっていない。変わったといえば、アイテムはルービックキューブから始まって、今回は「メタ・ライフ」という仮想現実空間でのAIとの交流というのがアイテムになった。ただVRであれ、AIであれ、ここ数年の技術革新の変化がハードではなくソフト、プログラムにおける領域が主流になり、ハードしての大きな進化は思った以上に動いてはいない。攻殻機動隊のような知覚デバイスの発達などはもう少し先になりそうだ。
五人が舞台の中で遊ぶことが続くが、これが体験してきた遊びを通じて、何かを感じるのと同時に、それがすでに消費されたものであるという現実もある。
その先にメタ・ライフがあるが、結局は現実における一つの逃げ場でしかない。いつかはそこから抜け出すことが必要になる。仮想現実については、いつも岡嶋二人の「クラインの壺」という小説を思い出す。
ミヨコは遺書で「リインカーネーション」を夢見て永遠にさまようが、それも結局はミヨコにとっての「来なかった」結果です。そして五人にも「ゴドー」は来なかった。五人は待ち続ける「朝日のような夕日」を見ながら。
この描き方が変わらない、逆に作中で描かれる「消費されていく情報」が変わっていく、この2つの対比はきっとこれからもこの作品の中核ですし、自分もそういう世界を楽しみたい。
2024年版を体験できたこと、本当に良かったです。次にどんなキャストになるかはわかりませんが、またこのエネルギー溢れる「朝日」を味わいたいです。
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