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学校だけが全てじゃないと、 言いたいのかもしれない|にしがきようこ(児童文学作家)【前編】子どもの本インタビューvol.2
オチャノマート(OCHANOMART)
「子どもの本のインタビュー」vol.2
子供の本に関わる方々のインタビュー第2回目は
児童文学作家のにしがきようこさんです。
にしがきさんの作品は、子ども達の普遍的な悩みや苦しさに
寄り添いながらも、とてもさわやかに少年少女が描かれています。
自粛中の大変な時期にオンラインで、
貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。
休校中の子ども達の不安やストレスが心配
●緊急事態宣言による一斉休校の影響で、子ども達の生活は変化を余儀なくされています。子ども達の現状についてはどう感じていますか。
とても心配しています。子ども達は弱い立場なので、周りから敏感にいろんなものを感じ取って不安感を持つのでしょう。細かい目配りをしてあげたいですね。
実は2歳の孫娘を自粛期間中に時々あずかっていました。そうしたら高速のまばたきの症状が出ましてとても心配しました。何かしらの不安感があったんでしょうね。とにかく安心できるようにしていたら、だいぶおさまってきました。
幼い子ども達は自分の気持ちを表現することが難しいしいので、大人はしっかり守ってあげることが必要だと思いました。
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学校から踏み出して山に登ったら、違う自分に出会える
『ぼくたちのP(パラダイス)』(小学館)について
●中二の雄太が、夏休みにおじさんの誘いで別荘に行くことになります。実はそこは山小屋で、想像もしていなかった山の生活が始まりました。大自然と触れ合ったり、おじさんの山仲間との出会いがあったり、たくさんの新しい経験をするというお話です。どのようなきっかけで山登りの物語になったのでしょうか。
大学の農学部に入った時に山登りに出会いました。だから山登りは私の経験です。ですが実は私は小学校5年生頃から3年間ほど、ある病気で入院していたんです。その後退院しても20歳になるまで薬を飲みながら、生活を続けました。20歳の時にやっとお医者さんから、99%治ったと言われました。
とにかく体を動かしちゃいけない病気でした。じっとしていなさい、家にいなさいと言われていたので、10代の頃はほとんどスポーツをしていなかったんです。でもずっとスポーツがしたかったです。それで大学に入った時に、歩くことならできるだろうということで山歩きを始めました。
農学部では授業で観察会がありました。その授業で足もとに咲いている花にも名前があることを知りとても驚きました。そこから植物関係にのめりこんで、高山植物に会いたくて山に登るようになったんです。山というのはずっと温めていたテーマでした。
●このお話の主人公の雄太は雷をとても怖がります。それが原因で、友達にからかわれたりして学校に馴染めない。しかしそれが山の中では逆に、雷を事前に察知できる能力として、仲間に重宝がられて認められます。
私も雷がダメなんです。山に入ると、雷が来る前に鳥肌が立つ感じがするんです。
学校と自宅の往復で生活してる子どもは、少し学校でうまくいかないと、自信を失くしたり、自分を責めてしまう事が多いと思うんです。でも山に登るなど、今いる所から一歩外に踏み出してみたら、全く違う自分に出会えるのかなと思います。
自信のない子ども達に大事なのは、頭と体のバランス
●子ども達は学校での狭い価値観に縛られてしまいますよね。例えば不登校の子ども達にとっては、学校に戻らなきゃという強いプレッシャーがある時に、学校以外の価値観を知ることは大事ですよね。
そうですよね。私は病気だったこともあり、学校からドロップアウトしたような存在でした。週に3日くらいしか学校に行けなかったし、学校行事は全てドクターストップがかかっていました。学校というものを真ん中にすえていたので、非常に苦しい10代を過ごしてきました。
学校の外に出たら違う自分に出会え、それで自分が救われた部分もありますね。
●山に登ると人は変わるものですか。
山に登ったから本人の性格が変わるのではなくて、元々持っていたものが出てくるのだと思うんです。今の子ども達は、頭と体のバランスが悪いのかもしれません。頭でっかちになり、自分をダメだダメだと責めて悪循環におちいっているのではないでしょうか。
それが山に登ると、体をどんどん動かさなきゃいけない。呼吸するだけで精一杯になって、ややこしいことを考える余裕がなくなってきます。いつの間にか押さえつけてきた素の自分が出てくる。変わったというよりは、もともとあった素の自分がひょっこりと顔を出すんじゃないかな。わたしも登山途中で豹変します(笑)
●蓋が外れるみたいなイメージなんですね。頭と体が繋がるというのは面白いですね。後半のシーンで、雄太が勇気を振り絞って、登山者を助けるシーンがあります。そこで、主人公は成長しましたよね。この場面への思い入れなどはありますか。
勇気と言われて、そういえばそうかなと思いました。共感の延長線上におじさんをなんとかしなければ、という気持ちから登山者を助けに行ったんです。雄太は素がとてもいい子。その場になれば勇気を振り絞れる子なんですが、下界の生活では発揮できずにいました。それが山に登ったことで蓋がはずれて、体と心が一致して、今やるべきことをすぐに行動に移すことができたのだと思います。愛情が爆発した形が勇気なんですね。
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ホモサピエンスの最大の特徴が
共感と聞いて目からウロコでした
『川床(かわどこ)にえくぼが三つ』(小学館)について
●親友の文音と華は中学二年の夏休みに、初めての海外でインドネシアに行く事なります。目的は発掘の研究調査のお手伝い。インドネシアの文化や、自然や歴史に出会い、驚きの連続の中で二人は助け合ったり、ぶつかったりして友情を育むというお話です。どういういきさつでこのお話は出来上がったんでしょうか。
私は、インドネシアのバンドンという都市で1年半を過ごした経験があります。その時に地質学専門の日本人と友達になりました。その人の案内で地質博物館に行き、保管されていた本物のジャワ原人の頭蓋骨化石を持たせていただきました。真っ黒でとても軽くて、何十万年という時間の重みがあるものに触れることができ、とても感動しました。
そして、物語の舞台になったソロ川なのですが、その川原で過去に日本人が動物の足跡化石を発掘したことがあると知りました。
いつかこれをテーマに書けたらいいなと思っていました。
●インドネシアの文化で驚いたのはどんなところでしょうか。
一番びっくりしたのは、宗教でした。イスラム教の人が90%以上ととても多く、イスラム教はとにかく大事にされていました。人の尊敬を集めるのも、イスラム教の教義に通じている人たちでした。日本人が大学を出ているとか、こういう専門家なんだと言っても尊敬はされません。
それよりも1日5回の礼拝をするとか、断食をきちんとやるとか、そういう人が尊敬されるのです。インドネシア語のありがとうは、愛情をくれてありがとう、という意味です。インドネシアの人々は、他人にはとても優しく、いろいろな意味ですごく癒されました。
それとインドネシアで学んだのは、自分はホモサピエンスなんだと、考えを深められたことですね。ホモサピエンスが他の動物と違うのは、道具を使えたり、火を使えることかなと思っていました。でもある大学の先生にそれは違う、「共感できること」がホモサピエンスの最大の特徴だと言われたんです。
それを聞いて目からウロコでした。「共感して思いやる」動物は他にはあまりいないと気がついたのです。それこそが人間が人間たる所以だということなんですね。
その通りだなと思いました。この社会だって、思いやりがなければ何もできないでしょう。それが現代社会では、共感することが少なくなってしまった気がしています。SNSでは相手の顔が見えてないですから、何でも言いっぱなしになってしまうんですよね。twitterの中でもひどい差別などがあることに、とても危機感を持っています。
一番大事なのは、対面で言葉をやり取りしていくことだと思っています。
正論を言って人を傷つけてしまうこともあるけど、正しいというのは人それぞれみんな違うわけです。あなたにとって正しいかもしれないけど、言われた方にはそうではないかもしれない。反対している人に対してさえの大きなくくりでの共感、考えと言ってもいいかもしれませんが、それが欠落しているんだと思います。
友情関係は体当たり、と感じてほしいのが一番なんです
●女の子二人の友情というのがポイントですよね。今なら友達と仲良くなるのにSNSだったりメールだったり、デジタルなものを通して友達になるのかなと思います。でも、この物語では一緒に旅をすることで、直接ぶつかり合うというのが面白かったです。
私はそれをうかがって、逆にびっくりしました。今の子ども達はLINEとかtwitterとかで友情関係を作るんだ、という気づきがありました。
私の本には一切そういうのが出てこないですね。どうしてなのかなと思ったら、デジタルで作った友情というのが、私にはよくわかっていないのです。本物になっていくのかな?という疑いがあります。もしデジタルが無くて友情関係が描けるのなら、そちらの方がいいなと思っています。
デジタルだと人を傷つける部分も多いんじゃないでしょうか。私たち大人ですら、言葉の行き違いでややこしい事になったりします。まだ言葉に対する使い方がつたない中学生が、深手を負うのはいやです。それなら真正面で傷ついた方がまだましかなと思っています。体と体、心と心が反発し、あるいは共鳴しながら関係を深めていってほしいと願っています。ある意味、体当たりで作る関係もあるよと伝えたいなと思います。その一方、デジタルで作り上げる関係にも考えを深める必要があるのかなと思っています。
●今の中学生は面と向かって、気持ちをぶつける機会が少なすぎるのかもしれません。
そうだと思います。デジタルの世界と現実の体というのはバランスが悪くなると、おかしい方向に行くのかもしれませんね。登場人物の子達はインドネシアという異文化で、違和感をいっぱい持った中でぶつかっていきました。日本人の少女が二人しかいなかったから、お互い向き合わざるを得なかったのです。そのとき、より深く関係が結ばれていったと感じていただけたらといいな思っています。
●それは先程の「僕たちのP(パラダイス)」でも共通していますけど、頭と体が一つになっている関係の方が、人の本来の姿なんでしょうね。
そこからしか始められないと思います。自分自身が非常にバランスの悪い子ども時代を過ごしてきたので。それがある程度一つになった時に、生きるってこんなに楽しいとか、辛いとかきちんと受け止められるようになった気がするんです。
頭と体がアンバランスのままだと、自分が傷つきすぎて死にたくなってしまう。そこに体が入ってくると、そこまでは思いつめないですむのかなと思います。
人は生きている限り苦しいことがたくさんあるものです。それを受け入れるには、バランスが良い人間になることも大切なのではないでしょうか。
●昔の子ども達はデジタルな環境もなかったので、頭でっかちにならずに体を使って遊んでいたというイメージです。でもにしがきさんの子ども時代は、病気のこともあり悩んだり、考えたりしていた。そんな経験が、逆に今の子ども達の気持ちを理解する時に、生かされているんでしょうか。
今の子ども達の気持ちがわかっているというよりは、私が書く物語はとても辛かった10代の自分に向けて書いているのだと思います。あまり自分を責めないで、自分のせいじゃないんだよという事を言いたいです。もしあのころの自分に会えるのならば、今は苦しいけれど、生きているだけで十分美しいし、素晴らしいことなのだよ、それでいいんだよって伝えたいのだと思っています。
●にしがきさんの作品は、病気の方や、不登校や、学校に馴染めない子ども達にも共感できる作品が多い気がします。
だといいですけど。私は、学校なんてほとんど行けなかったので、学校だけが全てじゃないよと言いたいのかもしれないです。学校がわからないので、主人公が中学生でも山だったり、海外だったり、学校以外が舞台になっちゃうのでしょうね(笑)
本当に学校生活は一時期ですからね。学校に馴染めない子どもは、みんな学校に行っているのに何で自分だけ学校に行けないんだろうって、嫌というほど感じていると思います。ただ、辛いことも、苦しいことも、そして楽しいことさえもいつかは終わりが来ます。
【後編へ続く】
聞き手・写真(書影)/水木志朗
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にしがき ようこ
名古屋市生まれ。2010年『ピアチェーレ 風の歌声』(小峰書店)でデビューし、第8回児童文学者協会・長編児童文学新人賞、第21回椋鳩十児童文学賞受賞。2013年『おれのミューズ!』(小学館)、『ねむの花がさいたよ』(小峰書店)、2015年『川床にえくぼが三つ』で、第65回小学館児童出版文化賞受賞、2018年『ぼくたちのP(パラダイス)』(小学館)など。