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『だるまちゃんとてんぐちゃん』を読んで|だるまちゃんと、戦後と、ヒップホップをつなぐもの 無いものは“工夫”して作る
無いから買うか“工夫”して作るか
よく子供の頃、先生や親から「工夫してやってみなさい」って言われたことがありませんか?例えばどうしても開かない蓋があったとします。強い力で回しても開かない時は、布巾を被せて回したり、スプーンなどを使ってフチをちょっと浮かせたり、いろいろなやり方があります。ちょっと自分で考えてやってみな、という事なんですが、最近はフタを開ける便利グッズなどもあって自分で考えて工夫しなくてもいい場面が増えた気がします。
突然ですがここで僕が好きな曲を紹介します。
「常に練習 常に研究 知恵を結集し君をレスキュー 武器はたゆまぬK.U.F.U」(アルバム『マニフェスト』収録「K.U.F.U』」より引用)
これはヒップホップグループのライムスターの『K.U.F.U』という曲です。僕はこの曲がとても好きなんですが、ざっくり言うとちょっとした“工夫”がいつか大きなクリエティブの一歩になる、というような内容の歌詞です。僕もいつも仕事で雑誌のデザインをする時には、“工夫”を感じられるデザインを意識しています。ものを作るというのは、元からあるものにちょっとだけ自分の考えたことを上乗せしていく、それが“工夫”なんだという事をこの曲で意識するようになりました。
そんな工夫がテーマの絵本が『だるまちゃんと、てんぐちゃん』です。あらすじはこんな感じです。
だるまちゃんは友だちのてんぐちゃんの持っているものを何でも欲しがります。てんぐのうちわや素敵な履物、なんとしまいには鼻まで。お父さんのだるまどんは思いつく限りの物を集めてきますが、だるまちゃんのお気に入りはいつも意外なところに……。だるまちゃんとだるまどんはどんなアイデアを思いついたでしょう? ユーモアあふれる物語と楽しいものづくしの絵本。大人気「だるまちゃん」シリーズの第1作です。(福音館HPより引用)
だるまちゃんはてんぐちゃんのものを羨ましいと思って欲しいというと、お父さんはいろいろなものでそれを代用します。例をあげると、てんぐちゃんのゲタが欲しくなったので、これをおもちゃのまな板で代用します。
これを読んで感じたのは、てんぐちゃんの、うちわや帽子や下駄などを、いろいろなアイディアを出して工夫して作ってしまうことが、いまの子どもや親にできるのだろうか?ということです。
子どもが友達の持っているものが欲しくなったら「同じもの買ってよ~」になるだろうし、親もわざわざ作ったりせずに買った方が楽だし早いとなるでしょう。逆に手作りはちょっとカッコ悪いというイメージさえあります。
無いから“工夫“して作るの精神はどこから来たか?
僕が子供の頃(昭和50年代後半くらい)でもそうでした。小学校で給食着や帽子などを入れる道具入れみたいな袋を持っていきますよね。友達はドラえもんだったりサンリオだったりキャラクターのデザインの袋を持っていたんです。でも、うちの母は手作りで作ってくれていました。当時はそれがなんかイヤでした。それこそ、手作りで“工夫”して母が作ってくれていたのに、地味でカッコ悪いと思っていました。キャラクターのものを買ってくれればいいのにと思っていました。
買ってすむものを作って工夫するという母のやり方は『だるまちゃんと、てんぐちゃん』と似ているところがあったのかなと思います。それは何かと考えると、戦争を経験しているかどうか。物が無い時代を経験しているかどうか、というのが大きいと思います。母は昭和15年生まれで終戦の昭和20年には5歳くらいですよね。小学校時代などはものが無い時代を生きていたはずです。
作者の加古里子さんは大正15年生まれで、終戦時は20歳です。子供時代は戦争に向かっていく時代でどんどんものが無くなっていったことだと思います
そのような時代を生きていたからこそ、無いものを「作る」という発想がしみついていたのだと思います。だって戦時中ですから買いたいと思ってもそもそも売ってないものがたくさんあったんですから。例えば、おやつがない時代だったので、おたまの中に小麦粉に水と砂糖を入れて火であぶって焼いたものを、おやつがわりに食べていたと叔父から聞いたことがあります。
今聞くとそんなものがおいしいの?と思いますが、何も無い時代にはそれがとてもおいしかったそうです。工夫して作ったものがお金を出して買ったときよりも、実は楽しくて満足感があるのかもしれません。
例えば、遠くまで飛ばせる紙飛行機を作る時、翼を大きくしたり、先端におもりをつけたり、紙の素材を変えたりします。そのつど、失敗してあまり飛ばなかったのはなぜかを考えながら工夫を繰り返します。そうやって失敗で気づくことや学ぶことって変えがたい経験ですよね。失敗を繰り返してできたものほど、満足感や達成感がある。失敗→工夫のループで創造性は生まれるのです。こういう経験こそが子ども時代には大事なのかなと思います。だるまちゃんも毎回、「いいことをおもいついた」と新しいアイディアを思いつきます。だから子どもがこの『だるまちゃんと、てんぐちゃん』を読むと、ものを工夫して作る感覚が刺激されてとても楽しい気持ちになるのではないかと思います。
『だるまちゃんと、てんぐちゃん』がなぜこんなにロングセラーで愛されるかというと、工夫して作ることの喜びを年少の子ども達ほど知ってるんですよね。それが、小学生、中学生となって、テレビゲームやスマホを使うようになって、工夫するよりも与えられるルールの中で楽しむことが増えてしまうんです。スマホでなんでもできる気がしているけど、SNSやゲームでも実際はコミュニケーションをすることがメインだったりします。そいうツールを使って友達と交流する楽しさもありますが、子どもに大切な楽しさというのは実際に手を動かして何かを作ったりすることではないでしょうか。
アメリカへの憧れと前後とヒップホップと
さらに、これは深読みしすぎかもしれませんが、『だるまちゃんと、てんぐちゃん』は日本とアメリカの関係のようにも見えてきます。だるまちゃんは日本で、てんぐちゃんはアメリカ(てんぐは実は江戸時代に日本人が外国人を見た時に、鼻が高くて彫りが深くて、あまりにも外見が違い過ぎててんぐのように見えたと一説にはあります)てんぐちゃんの持っているものに憧れるのも戦後の日本に似ています。アメリカに憧れていろんなものを真似してきた。それをそのままはできないけど自分達なりにアレンジして作ってきた。なにしろ、だるまちゃんはてんぐちゃんに憧れすぎて鼻まで高くしちゃうんですから。それは工業製品でもそうですし、音楽や映画などの文化でもそうです。
だからまさにライムスターなどの日本のヒップホップも同じことだと思います。時代は終戦直後ではなく80年代になりましたが、日本には無かったアメリカのヒップホップという音楽を日本で“工夫”して作るということだったのです。英語という言語をたくみに使う音楽を、日本語でどう表現するかということを工夫し続けて現在の日本語ラップがあるわけです。そうやってあらゆる分野でアメリカに憧れて工夫の連続で作ってきたものが日本を今日まで発展させてきたのです。
大きい話になってしまいましたが、無ければ自分で工夫して作るって大事なんです。昭和、平成と時代が豊かになってなんでも買えばすむと思って生きてきましたが、令和の最近になって物価がどんどん上がって、ちょっとしたものを買うの迷ってしまいます。こんな時こそだるまちゃんを見習って、お金をかけずに自分で工夫して作ってみるという精神がけっこう見直されるような気がします。