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社会の側に知ってほしいことを本にする|清田麻衣子/里山社【前編】

一人出版社として10年以上も活動されていて心に残る本を作られている里山社。
その代表の清田麻衣子さんに今回はお話しをお聞きしました。
絵本や児童書など子どもの本の出版社を作ろうとしているのに、どうして大人向けの出版社に話を聞くのかと思うかもしれません。それは里山社の本の全てに流れている目線が僕が好きな児童文学作家の方と、通じるものがあると思うからです。
 今までこのインタビューでお話しをお聞きしてきた児童文学作家さんは、障害や不登校やLGBTQやヤングケアラーや差別やジェンダー問題などを積極的に描いてました。里山社の本には同じように社会の周縁にいるマイノリティーをしっかりと見つめる視点があると僕は感じています。
 児童書や一般書などのジャンルを飛び越えてそういう似た目線を持っている出版社の先輩として、お話をお聞きしたいと思いました。前半では最新刊の『〈寝た子〉なんているの? ー見えづらい部落差別と私の日常』と山田太一のシナリオ集の『山田太一セレクション』についてお聞きしました。

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『山田太一セレクション』

テレビドラマを通じて、高度経済成長期を生きる日本人に警鐘を鳴らし続けた山田 太一。本質を突く「名ゼリフ」の数々は、不安定な現代こそ、改めてたしかめたく なるものばかりです。いまや入手困難な山田太一の名作ドラマシナリオをシリーズ で復刊 ! 一冊で全話収録。あたらしいスタイル、あたら しい手触りで、山田太一ドラマをじっくりと「読んで」味わうシリーズです。


テレビドラマ作品が残っていかないことの虚しさ

●映画『異人たちの夏』がイギリスでリメイクされて『異人たち』として公開されました。山田太一作品が現代でも通じるところはどんなところだと思いますか?

清田:里山社の『山田太一セレクション』も、2016年の出版から8年が経過し、いま現在の状況とは変わってきた部分もあると思いますが、山田太一作品は時代を越える普遍性がある。当時の時代の空気の中で作られるのがテレビドラマの宿命なので、状況を現代に落とし込んで捉えなおす必要もあるとは思います。たとえば『想い出づくり』で24歳が結婚適齢期だった時代とは結婚に対しての考え方は現代とは大きく違いますよね。でも自分の人生を思い切り生きてみたいという女性たちの願いには普遍性がある。だから、時代性と普遍性を切り分けて捉え直したいと感じます。

●山田太一セレクションを作ろうと思ったきっかけはどんなことですか?

清田:小学生当時、わたしの母があまりにも真剣に山田太一脚本のドラマを見ていました。私は子どもだったのでわからないところもありましたが、母の集中力に釣られるように、ドラマを見ている時間は濃密な時間だったという感触があります。大人の世界を覗き見ていたという感じです。NHKの三部作で『夕暮れて』『冬構え』『今朝の秋』笠智衆三部作でした。

●山田太一さんの作品の『男たちの旅路』の『車輪の一歩』という回で、車椅子の若者がデパートに入れてもらえなかったり、バスに乗れないシーンがあります。そこで、主人公の鶴田浩二が車椅子の青年たちに「今の私はむしろ、迷惑をかける事を怖れるな、と言いたいような気がしている」というセリフがあります。
 障害者の頑張りだけでなく社会の側も変わる必要がある、というメッセージを僕は受け取りました。そういう視点を1979年の時点で作品にしていたというのはすごいなと思いました。作品をシナリオ集として残したかったのはどうしてでしょうか?

清田:テレビドラマ作品を見る方法が出版した当時も今もあまりないんですよね。『男たちの旅路』はNHKオンデマンドで見られるようになりましたが。テレビドラマは時代を経て埋もれていく宿命があるものの、こだわり尽くしたセリフのひとつひとつは、文字で見る味わいもあるということを提示したかったんです。

●確かに映画と違いドラマは良い作品であっても古いものは埋もれてしまいますね。そういう意味ではシナリオ集で原石に近い形で残すのは意味のある本だと思います。山田さんに直接お会いしてどんな方だったんですか?

清田:もの腰柔らかくて、誰に対しても態度が変わらない方でした。最近『ふぞろいの林檎たち』の幻の第5部や『男たちの旅路』の未発表回シナリオ、それから最晩年の東日本大震災3部作なども出版されました。ですから、山田太一作品を後世に残したいと思う方はたくさんいるのだなと心強い気持ちでいます。


『〈寝た子〉なんているの? ー見えづらい部落差別と私の日常』上川多実/著

「差別はもうない。〈寝た子〉を起こすな」と言われがちな部落問題。東京生まれの部落ルーツ、シングルマザーの著者は子どもやママ友に〈部落〉をどう伝える!? 日常から差別を伝えていく!まったく新しい部落ルーツエッセイ。


自分には取り上げる資格がないと思うことが差別につながっていく

●西荻窪の今野書店での著者の上川多実さんと帯コメントを書かれた作家の温又柔さんと清田さんの出版イベントとても面白かったです。上川さんとの出会いを含め、この本を作るきっかけはどういうものだったんですか?

清田:ドキュメンタリー映画作家の佐藤真監督の本『日常と不在を見つめて  ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』を作った2016年に上映会を開催しました。その時、佐藤真監督の教え子だった方々が集まってくれて、上映会を準備したのですが、そのメンバーの一人として上川さんが参加してくれていて、その時が初対面でした。佐藤監督のもとで自分の家族にカメラを向けて自らのルーツを探る映画を撮り、その後は、部落について伝える活動をしているということを知りました。その後、上川さんのフェイスブックを見るようになったんです。
 私は部落についてわかっていることなんてほとんどありませんでした。でも上川さんのフェイスブックを読んでいるうちに、子育ての記事の中に時々部落の話が出てくるんです。あえて子育てと部落のことを交えて書いているんだなと感じました。それで本を作りませんかと声をかけさせてもらいました。

●僕も部落のことは不勉強で詳しくは知らなかったんですが、子育てと部落の事が一緒に語られているのが読んでいて面白かったです。

清田:上川さんはフェイスブックでどちらか一方ではなくて、子育ても部落のことも両方あるのが日常だという認識で書かれていたと思います。部落について自分は知らないことばかりなのに本を作っていいのかなと最初は迷いもありましたが、それよりも上川さんの本を出したい気持ちの方が勝る感じでした。
 時間をかけて作ったので、上川さんと同じレベルに私が達することは永遠にありませんが、ある程度近くまでじわじわ知っていくことや、状況に慣れていくことができました。一人でやっている出版社なので、この本を出すことは私も問題を世に問う人間として態度を表明することでもある。だからそういう覚悟をすることに時間をかけて慣れていく感じでした。それは、他の問題も同じですが。

●自分が当事者ではなかったり、関心はあるけど距離があるような問題を本にするときにはどういうスタンスで向き合いますか?

清田:当然迷いはありますが、私は最初の読者だと思っているので、自分には取り上げる資格がないと思うこと自体が差別につながる感覚なのではないかと思うようになりました。それは『男たちの旅路』の「車輪の一歩」で描かれる、障害をもつ人ではなく、社会のほうが変わる必要があるというメッセージにも通じると思うんですが、社会の側が知る必要があると思うから本にする、という感じです。

●タイトルのモチーフにもなっている「寝た子を起こすな」という言葉はどういう意味なんでしょうか。本の中には書いてあるんですが、インタビュー記事で知った人のためにご説明いただけますか?

清田:「寝た子を起こすな」とは、問題にしなければ知られることもないし、わからない人も増えていく。だから問題として取り上げることで、部落問題が表に出てきてしまい、差別を助長するという考え方です。
 でも実際は、この本の中の上川さんのように、部落差別は終わっていなくて、上川さんのご家族も実際に差別に遭ったことがある。そういった出来事や差別自体が無いと言われることが、現代の差別の形である、と上川さんは考えています。この本の後半にも出てくる「マイクロアグレッション」という考えにも繋がる考え方です。「マイクロアグレッション」というのは見えないくらい小さな、日常に紛れ込んでいる差別や偏見という意味です。

●差別の形も昔とは違ってきているんですね。「マイクロアグレッション」という言葉を知れたのも良かったなと思います。

清田:あからさまな制度上の差別は無くなっても、男女差別もそうですが、男女雇用機会均等法ができたとはいえ、まだまだ政治家は男性ばかりですし、企業の管理職は圧倒的に男性が多いなど、男女には格差があります。男女差別は終わったといっても、まだまだある。そういったことと通じる状況かもしれません。

上川さんのすごいのはママ友に部落差別の話をすること

●こういう差別がテーマの本だと難しい感じになったり、政治色が強くなったりしますが、表紙やタイトルの書体などの印象も含めて優しいイメージの本になっていますね。また文章もエッセイ風でカジュアルに読みやすかったです。そのあたりは意識したんですか?

清田:上川さんと話し合を重ね、かなり意識しました。書いてもらう時にも、どうしても意見や主張が強くなって硬くなる箇所には、できるだけその背景にあるエピソードを書いてくださいと伝えてました。
 それは佐藤真監督の手法でもあったと思います。『阿賀に生きる』でも新潟水俣病未確認定患者の方々が被写体なので、裁判のシーンもありますがそれ以外の日常を描くほうに多くの時間を使っている。上川さんとはもともと佐藤真さんの作品で繋がってできたご縁なので、そのニュアンスは共有できた感じがありました。

●まさに僕はそこがよかったというか。例えば子育てのエピソードで、男の子が生まれたら「良かったね」って言われて「?」となったり。小学校に行ったら先生に「そっちに行ったらおばけがでるよ~」とおどして子どもを指導しようとしていたのを見て疑問をもった。とかそういう“あるある”的なところがとても共感できたから、部落差別の部分も同じように読めました。

清田:最初は子育てのエッセイの部分がメインになる予定でしたが、上川さんがそういう考えに至るまでどういう経験があったのかが大事だと感じ、前半の上川さんの子供の頃の話を書いてもらいました。部落差別とはどういうものなのか、部落に馴染みのない地域の人や若い世代の人にも伝えられるような前半を経て後半に入る構成になっています。

●部落差別をあまり知らない若い世代にも架け橋になるような本になりそうですね。こういう本では新しい考え方なども紹介されていて社会の意識は都会では変わっているような気がします。でも地元だったり地域のママ友とは、ジェンダーだったり、男女差別などの意識が通じないエピソードが本にも出てきましたが、僕も時々あります。清田さんは身の回りの人たちと本の中での考え方のギャップや、葛藤はありますか?

清田:福岡に引っ越してきて、これまで私は出版の世界の人との付き合いが多かったんですが、福岡はそれでも多いほうですが、全国的に編集者をやっている人は東京に多い。
 そういった体験を経て、意識に偏りがあるのは自分のほうなんじゃないかと思うようになりました。私は自分が正しいとか自分が教える側だと思いがち、という偏りがある。

●山田太一さんの作品で社会の側も変わる必要があるというメッセージがあったんですけど、その社会にはかなり分厚い壁があるのを地元に帰ると感じます。たとえば、僕は子どもが不登校になり発達障害ということがわかったんですが、それを学校や親戚とか、ママ友パパ友に説明するのも一苦労なんです。時には親の育て方が悪いと言われたり。マイノリティーであるほど地方にいくと生きづらさを感じる気がします。でも上川さんは周りに言うべき事を話していますよね。

清田:上川さんのすごいところはママ友に部落差別の話をするということですよね。自分の子どもに教えると同時に、子どもの周りにいる人たちに部落の事を伝えていく。子どものいる環境を親側から変えていくのがすごい事だと思います。それはなかなかできないことです。

●本当にそうですね。マイノリティーというか、家族に何かよそと違う事態が起きるとどうしても、距離ができてしまうことがありますよね。うちは子どもが不登校だった時は、ママ友パパ友とは疎遠になってしまいました。

清田:自分はマイノリティでもありながら、マジョリティ側になる場合もある。どっちにもなるという広い視点が、この本の中でも重要な意味を持っていると思います。

【後編へ続く】

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