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新宿駅 ぬくぬくと都会を生きる | かしぱん

街を知るとはどういうことだろう。何を知っていれば、その街のことを「知っている」と言えるのだろう。私は大学進学を機に東京を離れて関西に行った。大学での自己紹介、出身高校の名前を言うと十中八九「あんなとこに高校なんてあるの?」と聞かれた。それが私の出身高校、都立新宿高校である。
アイデンティティは他人との差異に(も)ある。通っていた頃はあまり意識していなかったが、遠く離れてみてから私の中で存在感を増した街のことについて、書いてみようと思う。

都立新宿高校について

新宿高校の敷地は三角形を2つ、トライフォースの下半分みたいに並べたようなかたちをしている。最寄り駅は新宿三丁目だが、新宿駅から通う生徒も多くいた。私は新宿駅から通っていた。校門の目の前には甲州街道を挟んでマルイがあって、すぐ隣には新宿御苑がある(✳︎1)。三角形の片方は校舎で、もう片方がグラウンドになっている。三角形の境でちょうど区境を跨ぐのでグラウンドは渋谷区にある。狭くてかたちが歪だからトラック1周は取れない。狭い土地をやりくりするためか、屋上にプールがあって体育館は校舎の中にある。

高校はだいたい100年くらいの歴史があって、かつては東大合格者数で全国争う屈指の進学校だったらしい。だが都立高校の学区制導入で進学実績を落とし、私が入学したのはその後の時代の新宿高校、また頑張って進学校になろうとしている、そんな時代だった。毎年学年の上位数名が東大に挑戦し1人受かるかどうかといった具合だった(卒業してから5年以上経っているので今はまた状況が変わってきているだろうが)。

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高校のベランダからはドコモタワーが見える。中央やや左下のオレンジ色がグラウンドだ。古いスマホの画質ってこんなだったのか。

新宿に通うこと

高校には電車で通っていたから朝は当然のごとく通勤ラッシュだった。高校1年の春には足元のカバンが人に潰されてる間にどっか行ったこともあったが、3年になる頃にはカバンを体から離さず持って、前の人の背中を上手く使って単語帳を開けるようになっていた。満員電車のコツは流れに逆らわないことだと思う。

働いたり遊んだりする大人たちの隣で、私たちは制服やジャージ姿で新宿を歩いていた。同じ場所にいながら互いに交わることはなかった。同じ街なのに大人たちとは違うレイヤーの新宿に私は通っていた。

新宿に通っていた、と言うと何だか都会的に思われるかもしれない。シティボーイ・シティガール。だが実際はそんなことはない。私は新宿のことをよく知らない。いや正しく言えば、新宿のお店のことををよく知らない。どこで遊ぶにもお金がかかる街、それが新宿に通い始めてしばらくして抱いた印象だ。いつも行く場所は決まってマクドナルドだったし、あとは東南口の下の開けたところで立ち話。公園みたいな、気軽に行ってずっと喋ってられるような場所がない街だった。他の級友がどうだったかはわからないけど、高校生の私に新宿は手に余る街だったらしい(✳︎2)。

新宿高校は私たちにとってある意味温室だった。新宿という街にいながら、そんなのお構いなしに高校生活を送らせてくれる施設。考えてみれば当たり前で、1日のほとんどが高校の中で完結するのだから新宿という街を味わう時間はほぼなかった。新宿に私の居場所は高校以外なかったし、当時はそもそも外の世界があることもよくわかっていなかった。

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高校の1階ロビー。私にとって高校は温室だった。

それでも大学に進学し京都に行ってから、たまに東京に帰ってくる度に私は吸い寄せられるように新宿へ行った。知らないとこだらけの新宿が気づけば帰る場所になっていた。

どうやら歩いているだけでも愛着は湧いてくるものらしい。新宿の1つ1つのお店はよく知らないけど、道のことはわかっている。特に新宿駅の東口側なんかはもう何度歩いたかわからない、かつての通学路だ。新宿は常に街のどこかが工事していて変化が激しい街だけど、全部が一度に変わるというわけではない。今、あの頃のレイヤーの名残を感じながらあの日の大人たちと同じレイヤーの新宿を私は歩いている。
懐かしさと新鮮さの両方がある街はなかなかない。私の中で新宿という街が確かに存在している。

✳︎1:昔は昼休みになると柵を突破して御苑で昼食なんてことしてた生徒もいたと聞く。奉仕活動という道徳みたいな名前の授業では御苑に行ってゴミ拾いや掃除をした(アルコールの持ち込みは禁止という建前だけど捨てられたゴミの分別作業をすると大量のビール缶があった)

✳︎2:実際、母校の出身者に坂本龍一がいるのだが、彼は入学してまずはじめに事前に調べた新宿のジャズ喫茶30軒を1軒1軒通ってお気に入りの場所を見つけてたらしい。それに対して私が新宿の喫茶店を知ったのは大学生になって新宿を離れてからだ。新宿を離れてから新宿を知っていった。
■かしぱん (@pankashi)
23区外出身。東京→京都→東京で今はIT系企業の労働者をしています。ベタだけどエジンバラが好きです。

*このエッセイは、住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第2号の収録作品です。
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