大和田の流した涙の意味とは? 「涙」と「泪」の違いについて
『半沢直樹』の第4話に続いて第9話でも、大和田が涙を流すシーンがありました。そこで、大和田の心情を探ってみたいと思います。
ところで、「涙」と「泪」の違いはご存知でしょうか?
辞書的には、その意味するところはほとんど違いがないということです。しかし、大和田が流した涙は、千利休が自ら削りあげた茶杓「泪」に込めた思いと同じだったのではないかと想像します。
安土桃山時代の茶人・千利休が、豊臣秀吉から切腹を命じられたとき、最期に臨んで弟子の古田織部に渡した茶杓が今に伝わっていますが、この茶杓の名前が「泪」ということです。
箕部幹事長の目の前で、半沢を土下座を強要する時の大和田の内面にはどんな葛藤があったのでしょうか?
銀行員(バンカー)としてのプライド、中野渡頭取を擁護する組織人としての忠誠心、そして政治と金という巨悪への敗北感。
このドラマの中で最も多くの葛藤を抱えながら、その場その場で日和見的に立場や発言を変えながら、巨大企業組織の中でしたたかに生き抜いている、第二の主役と言えるかもしれません。
その大和田が半沢の両肩を押さえつけながら、土下座をさせようとしている姿には、彼の苦悩が見え隠しています。おそらく、大和田は半沢が絶対土下座を絶対受け入れないことを知っていたはずです。
それでもなお、力ずくで半沢を押さえつけたのは、組織トップである中野渡頭取に対する忠誠心のデモンストレーションであり、半沢のバンカーとしての覚悟を試す試金石だったと考えらます。
大和田が涙を流したのは、半沢が土下座を拒絶した直後でした。
この時、大和田は権力に屈することしかできない我が身の無念さと、同時にホッとした気持ちになったはずです。半沢の天敵である大和田も、根っこのところでは同じバンカーとしてのプライドを忘れていないはずです。
その思いを代弁者として半沢が箕部幹事長の目の前で見せつけることができた、そんな感謝の泪ではなかったのかと想像します。
今や大和田の役割は敵対者という役割を終えて、半沢直樹の覚悟と決意を試す門番としての役目を果たしていると考えられます。
次に『半沢直樹』の続編1〜4話のスパイラル買収物語の振り返りです。
最後のどんでん返しで、宿敵の大和田が半沢の倍返しに加担する展開は戦国時代劇を見るような緊迫感がありました。
ところで、伊佐山が半沢に謝罪させられるシーンで、
大和田が鬼気迫る表情を見せながら、一筋の涙を流すシーンがありました。
この時の大和田の気持ちはどうだったのでしょうか?
過去に同じ屈辱を味わった実体験として、目の前の伊佐山を哀れんで流した涙なのでしょうか?
それとも、子飼いの部下に裏切られた無念を晴らした、喜びを噛みしめて流した涙だったのでしょうか?
大和田は悪役に徹するがゆえに残虐で卑劣でなければなりませんが、しかし、その裏には人間的な悲哀が見え隠れしています。視聴者が大和田に感情移入できる仕掛けとして、一筋の涙が必要だったのです。
つまり、視聴者は大和田の涙を見せつけられることで、クライマックスの臨場感を存分に味わうことができたのです。
そして、半沢が戦うべき本当の相手は、大和田など悪役に投影された
出世や派閥そして保身といった現代サラリーマンの影(シャドー)なのです。
さらに悪役が強ければ強いほど、主人公である半沢の潜在的能力が引き出されていくのも本ドラマの醍醐味です。
そこで、続編1〜4話を*ヒーローズマップにまとめてみました。
*ヒーローズマップについては下記のセミナーで解説しています。
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