恋愛の欠乏感の正体と、恋愛の捉え方が変わるかもしれない例え話
こんばんは、イナモトです。
一昨日ぐらいにふと頭に浮かんだこと。
失恋のダメージや欠乏感について。
何かしらの理由で
好きな人や恋人が
自分から離れてしまった
もう会えないのかな…
もうあの頃のようにはなれないのかな…
できることなら出会った頃に戻りたい…
そんな気持ちがぐるぐるしてしまって
私達は人生のどん底を味わう日々が
時々あるだろう
恋愛の傷み
それはとても重い
簡単には立ち直れない
恋愛が人生の重大事項にも
思えてしまう
ですが、最近の私の状況として
恋愛や恋愛感情、失恋感情から
離れているせいか冷静であり、
そ、れ、で、も
人生への欠乏感があり続けることに
気がついた。
恋愛絡みで今は辛くなくても
人生が漠然と辛い。
(もちろん結婚の悩みも大きいし
全く異性関係で悩んでいない訳でも
ないんだけど。悩みは他にも
仕事健康お金と様々あるっちゃある。)
恋愛のせいで人生が辛い!と
感じるのは
ほんとは一時的で
そもそも私達は辛かったのだと
言うことに気づいた。
恋愛は後付けである。
恋愛から得た喜びは時に
人生を輝かせ
恋愛から得た悲しみは時に
人生を曇らせる
それは本当に
当たり前の現象。
例えとして
私たちそのものが
調理器具の鍋だったとする。
(いい例えがこれしかこなかった笑)
私たちの姿形は
鍋そのものである。
だが中身は空っぽ。
これが人生が辛いという状態だとして。
仮に、鍋の具材を恋愛としよう。
空っぽの鍋に具材が入るだけで
それはそれは賑やかで楽しいだろう。
煮えたら美味しいし。
だけどいつか食べてしまえば
無くなってしまうものが
具材というもの。
そしてまた鍋は空っぽになる。
具材=恋愛という定義である限り
これは自分自身や自分の人生を
恋愛で満たしている状態だ。
そりゃー、また一気に
無くなるんだもん。辛いよ。
恋愛相手が変わればまた違う人に
鍋作ってもらって食べて、
鍋がまた空っぽになっちゃったじゃんー!
って騒ぐんだから。
でも、今度は恋愛が鍋の蓋だったら
どうだろう?
空っぽの鍋には
水や出汁やら野菜や肉やら
自分でぽんぽん材料を入れていく。
これらは例えば仕事健康お金趣味等になる。
いろんな要素で
鍋の中身を
いっぱいにする。
ぐつぐつ煮えている鍋。
そこに、ちょっと後から
鍋の蓋(恋愛)をしてみる。
鍋本体と蓋で
鍋の中身を包み込む。
具材はより火が通り、美味しく煮詰まる。
それくらいフワッとしたことで、
ひと手間ありがとうぐらい。
そうこれが後付けのイメージ。
私という形があり、
私という人生があり、
鍋の具材も食べてはまた足してを繰り返す
それは特定の恋愛対象の1人に
担ってもらうのではなく
私自身が具材を用意し続ける。
鍋のぐつぐつは私が作るのだ。
鍋の中身がぐつぐつ最初から
溢れていれば
鍋の蓋があろうとなかろうと
美味しい人生なのだ。
よく、心の状態を
コップの中の水に例える話がある。
(コップに沢山の水で満たしましょうの)
それと似た話が今回の鍋の話だが
鍋本体が私
鍋の具材は人生のあれこれ
鍋の蓋が恋愛と
具体的に分けることで
よりイメージしやすいのではないでしょうか?
私の人生は
何鍋にしますか?
どんな美味しい鍋料理を作りますか?
その考えにシフトしてから
ようやく恋愛を楽しむ余裕が
出来るんだなと
改めて気付きました。
まとめ
鍋の中が空っぽの状態
=心の欠乏感
=ロスト
ロストを1人の男に
埋めてもらおうとするな!
無くなって騒ぐな!
ロストは沢山の幸せや出来事で
寄せ鍋状態にしていかないと
なかなか埋まらない
鍋を振る舞うつもりで
恋愛を捉えましょう