何者にもなれないことは悪なのか
みなさんは自分が何者にもなれないことに悩んだことはありまんか?もしくは自分になんらかの才能があるのではないかと期待したことはありませんか?
私は何者にもなれていない自分に憤りを感じ、焦り、自分自身の無力さに落胆する日々でした
そして、いつか私も何者かになれるはずと淡い期待を抱いていました
しかし現状はただのフリーターでした
看護師として働いていた時は何者かになれた気がしたけど、退職してしまえばその何者ではなくなってしまったし、二度と看護師はしたくないと思っても、ついて回る足枷になってしまいました
海外に1年住んだけどビジネスで使えるほど英語ができるわけじゃない
頭もいいわけじゃないし、どちらかといえば覚えは悪い方
Youtubeやってみたけど登録者は200人から増えない
Noteを毎日書いても、反応があるのはごくわずか
唯一褒められる声もツイキャス(配信)を5年以上やっているけど有名というわけでもない熱狂的なファンがいるわけでもない
色は白いけど何に生かせるわけでもない
そうやって自分の持っているスキルをフルに活かしても何にもなれませんでした
こうして5年かけて証明されたのは私は何者でもないということでした
それでも足掻いて自分の留学情報サイト作ってみたり、起業できないか案を練ったり、たくさん本を読んでも
結局自分が何者でもなく、なんの才能もなく、厨二病を拗らせたような独身の20代の女性が出来上がっただけでした
そして醜いことに私はカナダ人の彼氏がいるから海外に移住して「海外に住んでいる人」という新たな「何者」かになろうとしています
自分では好きだから一緒にいたいと思っているけど、これは潜在意識的に何者かになろうとする手段の一つでしかないように感じます
そして搾りかすになった私はやっぱり何者でもありませんでした
では私は何者かでなければならないのか
何者以外は悪なのか
そうではないと思います
誰もが大谷翔平のような何者になれなくても
母数の多い会社員になったとしても家族を持っていたり、打ち込める趣味があるだけで何者でもなくても幸せだと言いきれます
つまり何者でもないと模索し、自分に才能がないと打ちひしがれている状態が一番不幸なんだと気づきました
ないものを求めて模索して、現状の幸せに気が付かないのは不幸だ
まるであんなに悠々と泳ぐペンギンが、翼がないと嘆くようなものだ
自由に泳げる現状を喜ぶべきなのに、いつまでも飛べないことを嘆くのはあまりにも不幸ではないかと思わずにはいられません
そしてペンギンでも泳ぐことが嫌いならば、陸地を歩けばいい
そういう選択をした時「泳がないペンギン」という何者かになれるのだ
私は看護師でした
これはペンギンの泳ぐスキルと同じ「なんで看護師にならないの?」どこにいってもそんな言葉がついて回ります
「安定した生活が送れるのに」「介護施設とかもあるじゃない?」「看護師不足だし」そいいう言葉が私にまとわりついて、私の行手を阻んできます
誰もペンギンが、あのペンギンが、泳げなくなってしまった理由には目を向けないし理解もされないでしょう
しかし今まで図らずとも私を支えていた看護師という「何者」のレッテルは失われると不安になります
急に自分が何者でもなくなったように感じるのです
そして別の才能のある何者になって、お金を稼いで、認められる存在にならなければならないのだと、焦燥感が湧いてくる
けれど、ここで見失ってはいけない
何者にはならなくてもいいのだ、看護師というレッテルはあっても精神を削ってでも働き続けたあの「看護師」という何者は偽物だったのです
そして偽物で居続けた結果自分がわからなくなってしまったのが今の私
だから何者というのは自分がなんの劣等感も感じず、自然体でいられて、幸せと感じられるものなんだと思います
苦労して血と汗が滲む努力をして手に入れた「何者」は何者ではなく「勲章」であって、肩書きであって、本質ではない
だから何者にはならなくてもいい
何者というのは自分自身でしかないのです
怠け者で、なんの才能もなくて、努力もできなくて、言い訳ばかりを並べて
猫が好きで、仕事に行きたくなくて、親の無いスネを齧り続けて、いつまでもフリーターで、家に引きこもって本を読んでる
そんなキラキラしていない自分が何者の正体でした
でもそんな、誰も羨ましがらないような生活が、私にとっては幸せなのです
人と会わなくていいというのが、これ以上ない幸せなのです
だから私は全力でこの生活を守らなきゃいけない
周りの人がどれだけ「看護師になれ」といってきても、私は私の心を自分で守らなきゃいけない
私が私であるための戦いをしなければならない
周りの人に恋に生きて海外まで行くなんてバカみたいと言われても
恋に生きてる痛い人と言われても
それが私だから、私は私を否定してはいけない
理想の自分との差に目眩がしそうでも受け入れるしか無いのです
そして誰になんと言われても、パート生活で貯金を切り崩すギリギリの生活をして、猫と過ごす幸せを諦めてはいけないのです
それが私だから
バリキャリになって海外出張みたいなかっこいいことはできなくても、好きな人に飼われて猫と過ごすだけで幸せなのだ
誰もが特別な何者にならなくてもいい
その誰にも誇れない幸せを守ることが、何者になることなんだと思う