2023.12.29
坂本龍一の曲名みたいなタイトルですがそんなに価値あるものではなく、どこにでも居るような人間の経過報告であることを冒頭で謝らせてください。
これを言うことによって以下の自分語りが許されると祖母に教えてもらった気がする。
小説が書けなくなって、久しぶりに文章を書くので、読みにくかったらすみません。
全部を捨てて、死んでもしまっても良かった。
新品のタオルケットに包まれたら泣いてしまうくらいに自分は弱かった。自分を守る外装は上半期で契約を辞めた。そうすれば、砂糖菓子よりも脆い内面が剥き出しになった。耐えられない、風に。表面が荒れていく。起きる、歩く、息をする。わたしは、なんでここにいるのだろう。
世界は、何も知らず、変わっていく。
命の感覚はもう音がしなくなって、目の前に記録として残すことでしか、もうそこに自分の命は吹き込めなくて。今感じてる生きづらさはきっと誰もが持っていて、それを感じた時に初めて人間は人間になっていって。
作り続けることは命を繋ぐことで、その足が止まった時に死の恐怖は安息に変わっていく。だから、大きなことが終わった後にやってくる恐怖が「辞める」という選択肢なのだろうから、わたしは/前文
心底嫌いな人間に出会いました。
心の底から不幸を願い、明日にでもこの世界から居なくなってくれとも思いました。
それでもわたしがどれだけ祈ろうと、その人間は明日も幸せだと噛み締める一日を送るのだろうし、希望に満ちた顔で眠りにつくのだろう。虫唾が走る。
また大切な人たちともたくさん出会いました。
自分の一部を捧げても相手の幸せを願えるくらいには大切な人たちと。
来年もその先もそういう人たちとはずっとずっと生きていきたいし、週末の買い物には誘ってくれなくてもいいから、近くを歩かせて欲しいし、挨拶をさせて欲しい。
お世話になっているたくさんの先輩はいつまでも卒業しないで欲しいし、構って欲しい。
先輩方には色々なことを与えられすぎて返しきれないので、それを後輩だったり他の人にも分配出来たらと思いながら生きている。
依頼だったり、仕事で色んな人に出会った。
新しい人たちとの関わりは嬉しいし、楽しい。
でもやっぱり人間関係は難しいよ。
今年は二本、大切な仲間たちと映画を撮りました。一本は依頼を受けてイベントで上映するために、もう一本は自分が救われるために。
また同時に今年は二度、本気で死のうとした年でした。原因と過程は割愛します。しかし結論、今生きているからそんなことどうでもいいのだ。
割愛したこんなしょうもない話が聞きたかったらいつでも飲みに行きましょう。三杯目くらいで何も言わずとも話し始めると思います。
自分の中から希死念慮というものが完全に消えた訳ではないが、現在は良い感じに寄り添えている。消えてしまったら自分ではないような気がして、少し手離したくない気持ちがある。だから、一ヶ月に一回は自分の遺書を更新している。せめてもの抗いで、わたしは明日も生きていくのだ。
映画というものを作るのはとても難しい。
もちろん一人では作れないし、かといってスタッフにお金を払える訳でもないから、完全な善意で手伝ってもらうことになる。大切な一日一日を、自己満の映画制作に拘束してしまって、自分は何を返せるのか、と悩む日々です。
自分はこの時、お金を好きな理由が分かりました。全部を買いたかったのですきっと。他人の時間も、自分の幸せも何もかも。だってみんなを雇えば、仕事として手伝ってくれるから不満の一つや二つ、まぁお金貰っているからで済むでしょう。これが理想論です。でもそんなお金はないし、結論なくてよかった。それは本当に自分だけの映画になってしまうところだったのだ。今まではずっと、自分の作るものが一番で、他はまぁいいんじゃない、でも興味ない。というスタンスでした(今思えば何様だ)
それでも撮影の一ヶ月前に自分が入院することになってしまった。妥協するとこは妥協するしかない。勝手に誰かに任せるよ。撮りきれたらそれでいいよ。でも撮りきれる状況じゃない。動くべき自分が入院してしまっているのだから。
終わった。もう全部辞めよう。
それでもこの作品を守ってくれた人がいた。全部を支えて、指示を出し、自分がいた時よりずっと進んでいて。救われた。ほんとうに。いつか返したい。
その時から自分は、「いいんじゃない」という言葉を多く使うようになっていた。みんなが言うが、これは妥協の言葉ではなく、期待の言葉なのだ。この人の意見を、この人の考えを反映させたら何ができるんだろう。それを期待して自分は新しいものをたくさん取り入れた。
もう自分が入院してからこの作品は、良い意味で自分だけの作品ではなくなっていたのだ。
嬉しい。楽しい。みんなと作るってこんなに幸せなんだと思った。
その物語の構想は四年前から考えていました。というのもやっと形にするのに四年もかかってしまいました。四年前というのが、自分の中に初めて希死念慮が生まれた時期でした。漠然とした身近な人間の死と後悔に苛まれて自分は、自分という人間がそこで初めて確立されてしまいました。それから自分は、生きる道標として自分の中に神様を作ることにした。イマジナリー神様です。自分はこう生きたい。それでも自分はこう生きなければならない。なぜなら自分はこういう人間だから。と自分を守るために助言をする神様である。きっと神様なんかじゃない。偽物であるが、神様も完璧ではないのだ。偽物であるが故に、そこに結果が伴えばまた別の本物となる。自分の卑屈は、自分を守るために大切だった。
編集はまだ終わっていないけれど、わたしはもう救われている。これでもう創作人生の第一シーズンはおしまい。ここからは誰かのために作っていきたい。
どこかでわたしの作品を見る機会があれば、感想が欲しい。言葉が欲しい。上手く本音が話せない自分の今できる最大限の会話だと思う。
本当に色々あった。ありすぎて書ききれなかった。
拙い文章ですみません。
今年も生きて偉い自分、みんな。
来年も頑張らなくていいから、生き延びよう。
時代は希死念慮じゃなくて健康な気がしてる、マイブーム健康。
ここまで読んでくださったあなたに幸あれ。
黎/2023.12.29
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