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QOLをあげてみた
2023年4月、まさか40代になって自分のアイデンティティを見失うとは思ってもみませんでした。「今の『いま』」で自己紹介をするとしたら、
4月1日から無職です。
同居する家族はいません。
これがいまの自分。ある意味では、人生の折り返し地点で何の縛りもないオールフリーな状態。改めて作り直す『アイデンティティ≒自分らしさ』が、noteでのテーマです。
福祉の仕事に携わってきた自分には、「QOL(Quality Of Life)」は専門用語だと思い込んでいたのですが、ここnoteの募集テーマに同じ単語を見つけて一般的に使われることもあることを知りました。
現在、オールフリーな自分、仕事から離れて自分自身の「QOL(生活の質)」を考え直してみることにしました。
(○○字)
1.QOL(Quality Of Life)を再確認
福祉の仕事では利用者の「生活の質」があがることを念頭に置きながら支援をしていきます。
「生活の質を上げる」ということは、「幸福度を上げる」と同義として問題はないでしょう。
そこで改めて「QOL」とは何のことなのかを検索してみました。
クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、略称: QOL)とは、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた『生活の質』のことを指し、ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。
1970年代以降に注目されるようになった概念で、もとは健康関連の概念だったが、それ以外にも拡張されるようになったため、健康に関するQOLは健康関連QOL(HRQOL、Health - related QOL)ということもある。個人の収入や財産を基に算出される生活水準(英: standard of living)とは分けて考えられるべきものである。
国際的に定義について必ずしも合意が得られているとはいえないが、1947年の世界保健機関(World Health Organization:WHO)の健康憲章から「(略)not merely the absence of disease, but physical, psychological and social well-being(単に疾病がないということではなく、身体的にも精神的にも社会的にも完全に満足のいく状態にあること)」と定義されることが多い。ただし、この部分には1998年に「spirituality(霊的/宗教的/実存的)」という文言が加えられており、その意味については多くの議論がある。
日本では、2000年に旧厚生省大臣官房障害保健福祉部が公表した「障害者・児施設のサービス共通評価基準」の用語解説にある「日常生活や社会生活のあり方を自らの意思で決定し、生活の目標や生活様式を選択できることであり、本人が身体的、精神的、社会的、文化的に満足できる豊かな生活」をQOLとする定義がある。
…分かったような、分からないような? 反論する余地もないが、腑にも落ちないような? 自分なりに気になるポイントを抜きだしてみました。
人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出している
個人の収入や財産を基に算出される生活水準とは分けて考えられる
日常生活や社会生活のあり方を自らの意思で決定し、生活の目標や生活様式を選択できる
身体的、精神的、社会的、文化的に満足できる豊かな生活
自分の現状である「無職」・「同居家族なし」は、QOLが低いのだろうか。
人間らしい・自分らしい生活を定義づけることはできるのか?
自分も含めて経済的収入が高いことを幸福と結びつけていないか?
「自分だけ」の意思で決定、選択できることは非常に稀で、誰もが環境に左右されながら意思決定、選択をしていないだろうか?
「満足できる」に上限はあるのか?
自分が無職になったこと、同居する家族がいないことは、すべてを自分で望んだ訳ではありません。状況によってはそうせざるを得ないことも多々あると思います(この2点については、拙文ですが別記事でお話をしてます)。
とはいえ、「生活の質」という大きな括りを現状の自分の生活の視点から細分化して考えてみました。
2.QOM(Quality Of Mind)、『精神の質』を考えてみた
中学生くらいの時から毎日ではないけれど、ラジオを聴きながら寝る習慣がありました。民放局も深夜放送はありましたが、CMや放送終了後の試験放送に切り替わると眠りが妨げられるので、お勧めはNHK第一ラジオの「ラジオ深夜便」です。
それからだんだんとインターネットが生活に密着するようになって、動画サイトで落語や古典(平家物語など)の朗読を聞いていた時期もあり、自然音(水音、焚火、雨音など)を聞きながら眠る時期もありました。
そして精神的に参ってしまったここ最近、「寝ながら自己肯定感を高めるアファメーション(=一般的には『自分自身への肯定的な宣言』のこと)」に行き着き、その流れで「瞑想」を始めてみました。
自分は瞑想に良いイメージがなく食わず嫌いでした。その理由は、自分が中学生くらいの時に発生したオウム真理教の関連事件にあります。オウム真理教に関連する報道で、瞑想したり空中浮遊をしている場面が繰り返され、「瞑想は怪しげなことに妄信する人がするもの」と決めつけてしまっていました。自分の世代ではオウム真理教の爪痕はこういうところにもあります。
ただ、瞑想をやってみるとこれが予想外にQOL向上の効果があるようです。といってもやり方がわからず、YouTubeのサイトで誘導されながらの朝10分ほどですが、「今に集中する」ことに意識が向くようになりました。
自分はどちらかといえば「オーバーシンキング=考えすぎ」の傾向が強いようです。自分にとっては理不尽なことの理由や原因を考察したり、起きてもいないことを先読みして何通りも対応策を立てたり。よく言えば慎重派で思慮深いともいえそうですが、そのことで気分が沈んでしまっては元も子もない。
ソーシャルワーカーの必須技術「自己覚知=(自分自身の感情や価値観を客観的に見つめて理解すること)」にもつながりますが、他者をいつまでたっても許せない、怒りの再燃を自分自身で繰り返していたりもするようです。
自分に至らぬ点もあったが、自分がすべての非を背負うような状況でもない。瞑想で負の感情を少しは手放し始められるようになった気もします。
3.QOM(Quality Of Meal)、『食事の質』を考えてみた
現在の自分は、社会保険の傷病手当で生活をしているので収入が明らかな減額、これまでの貯金を少しずつ削りながら生活を保っています。
電気、ガス、水道など水道光熱費の節約はたかが知れているし、ましてや軒並みの物価高騰でこれまで以上の節約をしても減額にもならない。また暖かい、寒い、清潔に至る水道光熱費を節約するのは人間の基本的な部分まで削り始めるので宜しくない。
そこで目に見える節約をできるのはやはり「食費」。
外食は一切せず、全食を自炊しています。元々あまり料理は得意ではないし、食べてくれる人がいるわけでもないので客観的に美味いのかどうかは非常に不明です。
しかしネットで作り方を参考にしながら、格安節約料理などを真似して料理の幅が広がることができました。買ったものを余らせて腐らせて捨てることもないし、ごみの分別も丁寧に工夫することができるようになりました。
SNS映えするような外食はしていない。あまりお金をかけてないけど自分では「美味い」と思えるものを食べている。食品ロスもない。
はて無職の自分の食事の質は下がったのかしら?
4.QOM(Quality Of Money)、『お金の質』を考えてみた
大幅な収入減をきっかけに、「お金」のことをかなり考えてみました。
統計学的に、「年収800万円」を超えるとお金に関する満足度と幸福度は頭打ちになると聞きました。といっても、これまでの自分の収入は「年収800万円」には程遠く、その満足度と幸福度は実感できていませんが、福祉の業界だけで収入増加をするには難しく転職しか考えられないようです。
一方で、社会福祉業界は2000年の構造改革を受けて、「経営」が重視されるようになりました。
自分は公費を収入源として漫然とすることを良しとはしません。「経営」という観点をもって一般企業と同じように発展向上を図ることには賛成です。
しかし、これまで社会保障の一端として公的な守りと縛りを受けていた福祉業界が、急に経営が必要な体制を迫られるようになって、「経営」や「契約」を理由にすればこの業界の本質さえも捻じ曲げてしまう現状も一面としてあると現場にいて感じていました。
具体的には、「経営が成り立たない」という表には出されない理由で利用者の選別が行われたり、過剰な支援サービスを提供があったり。「契約書に書いてある」という理由で、一方的な利用打ち切りをしたり。
そもそも社会構造のセーフティーネットであるはずの「福祉」の網目を大きくしたり、意図的に穴を空けている現場を否定もできません。
しかし「経済」とか「経営」とは遠い場所にいて、積極的に知ろうとしなかった自分もいます。
この無職の間、改めて「お金」というものに向かいうために経済古典を読み漁っています。が、恥ずかしながら自分の理解力が及ばず、十分に理解できず四苦八苦もしています。
ただいろいろと読む中で、100年以上前に「資本論」を著したカール・マルクスは、現在の日本の福祉業界に携わる自分たちの何十倍も深い見識で、「人間の幸福」を追求していることを知りました。今日の社会福祉従事者よりも、ずっと深く、広い愛で世界を見ていたことを知りました。
狭い業界と視野、浅い知恵で右往左往している自分が恥ずかしい。
5.QOJ(Quality Of Job)、『仕事の質』を考えてみた
収入の減額をきっかけに「仕事」のことも考えてみました。
40歳を過ぎての再就職、加齢とともに選択肢はどんどんと狭まる。内容は何でもいい、収入が得られればいい、と割り切ってしまえば資格要件だけを活かしての再就職は可能だと思われます。
しかしそれでよいのか? お金が欲しいのも本音。けれど自分が他者に役立つ存在でいたいと思うのも本音。
最近、流行りのようによく聞く「自分軸を持て」という考え方。啓発セミナーやSNSの金言・格言の紹介でもよく目にも耳にするようになっていませんか。また一方では、「他者に喜ばれ役立つことをすることが人生の至高の目標」とも同時に聞く。関西人ではないけど「どっちやねん」と言いたくなります。
自分はかなり戸惑い、十分に理解がしきれていない。
「他者の役に立ちたい」という動機は他人軸なのでしょうか?
ところで今回の初めての休職中、自分が希望するような再就職できないという可能性も視野に入れています。自己開業も視野に入れたほうがよさそうです。
収入と自分のやりたいこと、自分軸と他人軸、自己欲求と他者尊重、
さまざまな中庸を探っているのがQOLのバランスを探し続けています。