見出し画像

第5回読書会『話し足りなかった日』

みなさんお久しぶりです。
第4回読書会は『女の子だから、男の子だからをなくす本』読書会を開催しました。記録をとり忘れてしまったので更新できずで申し訳ございませんでした。

今回は11/27に開催した イ・ラン著、オ・ヨンア翻訳『話し足りなかった日』リトルモア刊のnoteを更新したいと思います。
今回は16名の参加があり、初参加の方もいてかなり盛り上がったと自負してます。

今回もいつもと同じように
自己紹介
話題提供
グループトーク
全体で共有
という構成で行いました。

まず話題提供ですが、写真研究家の小林美香さんにお願いしました。
小林さんは職業柄、イ・ランさんと重なる部分もあるので、本を読むとき最初すんなりとは読み進められなかったとおっしゃっていました。
そして人と対面して十分に話すことができないコロナ禍の現在、上手く自分たちの想いや経験といった部分を伝えることができないでいる。だから私はこの『話し足りなかった日』というタイトル自体がすごく良いな、と思ったとおっしゃいました。

また芸術労働者について書かれた箇所について小林さんは、本の中の言葉の端々に、本流のコミュニティに生き続けられないことが感じられるが、他者との関係性みたいなものがつづられていると述べられました。孤独を引き受けた上での連帯、決まった構成員ではないけれど、何かしらつながれるという志をもって生きていける強さをこの本から受け取ったとしめられました。

次に3グループに分けてトークをしました。一部の意見ですがまとめてみました。


🌟労働に対する対価についても議論が深まりました。芸術界における慣行で、お金の話しはあまりできないのに、イ・ランさんは自分の労働の対価について素直に言っているところが印象的でした。特にイ・ランさんは賃金の基準もない世界でアーティストはよくやり韓国でいうところの「熱情ペイ」を暗黙的に強要されたりする風潮、構造的な問題について指摘していました。また、組織の枠の外にいるフリーランスのアーティストは組織の枠の外にいることで、独立的、自由なところもあるが、自分がすべての責任を負うため、そのようなライフスタイルに対する覚悟をして生きていく必要があります。

韓日芸術トークについては、別グループでこのような意見が出ました。
イ・ランの芸術労働者という考え方が興味深かったです。しかし、イ・ランほど著名な人がこんなにも金銭的に苦労していると知りショックでした。日本でも美大、芸大を出ただけでは食べてはいけないし、好きなことをしているのだから収入が低くても良いだろうという間違った発想があると思います。また学生を使うと安い、良い経験になるから、やらないと将来が閉ざされるなどの搾取も多々あらます。

🌟親友の死
他者の死としてだけでなく自分の事として捉えている。誰もがいつ死ぬかわからないから、自分の言葉を残す大切さを感じました。イ・ランは死をただ他人の苦痛として受け止めるでなく、自分の未来とつなげて考えると思いました。
「体の時間に終わりはあっても、言葉の時間に終わりがない」というセリフが印象に残っている。

🌟 イ・ランさんは「女性」という身体で生まれて来た人の心の傷というものを理解していると感じらました。なぜなら性的価値=周りから査定されるのではないかという無言のプレッシャーや、「女性性を引き受けて生きることが困難である」という居心地の悪さを感じてるからです。

🌟その他
モアさんを彼でも彼女でもないただ美しい存在であり、그(ク)と表現していたのが素晴らしかった。普通であることの抵抗を感じたなどの意見があった。

韓国版と日本版とでタイトルや装丁がが違う。韓国語のタイトルは、好きでする仕事にもお金は必要です。また、韓国語版は青ベースで著者近影もアイシャドウが青かったのに対して、日本語版は赤×赤でした。

それと、翻訳のリズムがとてもよくて読んでいてとても読みやすかったし、楽しかったと複数の人からコメントがありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?