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母性が無いなと思う私が映画「母性」を見たんだ
母性というタイトルから見るのが少し嫌だった
なんで嫌なの、がうまく言えなかったんだけど
多分私は女に生まれたのに母性がないって思っていたから
むしろ当たり前に備わってるものなの?
と思っていたけどそんなこと言えないし
というモヤっとした思いがこの映画では、
見事に可視化・言語化されていたし
こんなふうに表現出来るんだって同時に悔しくなった
だからこの映画を見て何をどう思ったのか、
いまの私の感じたことを残しておこうと思います。
#母性が無い人から見た母性の話
〈ネタバレなし感想〉
まずは、女としてこの作品が見れたことが嬉しい
娘として重なる部分がさやか、ルミ子それぞれにあった
母としての視点は経験したことがないけど
私は子供を宿して産むのが怖いと思っているので、今の視点でこれが見られてよかった
(母になっていたらきっと視点が複雑になるだろうから一方的な目線で見られる今は貴重だとも思う)
そして、男性だったらどう思うのか
女であり、娘であり、そしてこれからなるかも知れない母の視点は経験できるかも知れないけど男性の視点は見れないから悔しいな…
もちろん、
男女だけでなく、祖父母、孫、立場が違うだけで感じ方・受け取り方が分かるだろうし、この話を気持ち悪い・怖い、と思う人もいるだろうけど、私はこの作品が世にでて全国ロードショーされているのが単純に、有難いと思った。
ここからネタバレ感想です
(とっっっても長いので暇を持て余した方、読んでみてください)
2種類の女
居酒屋で清佳がいう。
「女には2種類いるんです
母と娘
娘でいたい女もいるんです」
という台詞が印象的
それを聞いて
あぁ、私って娘でいたい女なんだって思ってしまった
言いたくても言い方が分からなかったけど、そういうことなんだと思う
ルミ子について
感想を探っていたらルミ子がやっぱり気持ち悪いって言われていて、ああそうなのか。と思った。ルミ子ほどではないけれど考えに近いところがあったし、自分には人間に対する母性が無いってずっと思っていて、それで悩んでいたところもあったから
「母性は経験と学習で作られるものだとおもうんです。」
といった言葉で少し救われた。
この言葉に出会えただけでも、この映画を見て良かったと本当に思った。
(この辺は元から母性が強く備わっている人とは分かり合えないのかもしれない)
私は母の娘でいたくて祖母の孫でいたい
子供のために無償の愛を捧げたいと思えない
とまで言ってしまうと極論なんだけど
自分に無償の愛を捧げたいっていまだに思ってしまう、私はまだ幼稚で単純でお気楽な子供なんだと思う
それとはまた違うけどルミ子もまた子供でいたいまま母になってしまった女であり、自分より歳が上の"大人"に気に入られるしか存在が見つけられない女なのでやっぱり見ていて哀しくもあり苦しそうでもあって胸を締め付けられた
前半は独特な色使いの壁紙など、インテリアや空間デザインが印象的
花を愛で、絵画を描くように美しい家を目指すルミ子の世界はアンバランスで非現実的なものだという表現
夫も娘も小道具にしかならない
そもそもそんなに綺麗で美しい空間ではなかったかもしれない
娘の視点ではレパートリーの少ない食事にほつれた洋服がでてくるのだから
娘の目にうつる母は弁当を投げ捨て、瞬きせずに子供を操る恐ろしい母になっていた
母のために相手を選び、母のために結婚する
子供を宿した時に初めて違和感を覚え拒絶反応がでる
結婚相手が自分を愛していなくても母に褒めてもらえれば良かった
その世界には母と自分がいればよかった
そんな中起きる
火事のシーン。
壮絶すぎる命の選択
暴風雨で倒れた木が家に落ちてきたことがきっかけで箪笥の下敷きになる祖母と孫
蝋燭の火がきっかけで火事になってしまう
倒れてきた大木が
大黒柱のいない家になってしまった暗喩みたい
その大黒柱に左右され命の危機になる女たち
普通なら娘を選ぶが、叫び助け出したい相手は母なのだ
そんな母は娘に「命がつながる方が嬉しい」と言って孫を助けさせる
絶対私の人格を疑われることを承知で残すが
その中のある台詞が私でも言ってしまいそうでゾッとした。
極論の真実
母がした最後の母性は母の自殺だ
母を殺すことで、母は娘に母になって欲しかった
そうしたら、娘を助けるしか無いのだ
まさに崖から突き落とすライオンとは逆
旅をさせる親とは逆
突き放すやり方が嫌ミスの湊かなえっぽさ、ここでできた
俳優陣
戸田恵梨香の演技
序盤は独白ごとにハッキリした演技でいい意味で気持ち悪い
ラストはどっちともつかないけど血は通ってないような演技
共感はできないけど理解はできるこう言う人なんだ、って非現実的な人間なのにちゃんと現実にいそうな人間になってる
(戸田さんのこと私、デスノートで見た小学生の時から好きでずっと本当に色んな作品見てるんだけど、俳優・戸田恵梨香がルミ子でよかったし逆に戸田さん以外だったら多分無理だと思う見れないし見てられないと思う。結末的にも覚悟していたけど殺していなくてよかったなって思う、何度も見返せる。戸田さんの代表作たくさんあるけど新しいマスターピースだと思う!)
永野芽郁の演技
あの子役がグワッと泣いたらこう言う顔になりそうだなってすぐわかる
真っ直ぐすぎてやっぱり上手く生きていけてない無神経さと真面目さがピッタリ
大地真央・高畑淳子
もルミ子の友達も
義理の妹もやっぱりみんないい意味で気持ちが悪いし
ルミ子の夫、家庭の中で確信的に存在を消しているのがわかるので恐ろしかった
清佳に向けられた視線ももはや"気づかない"自分を正当化してかつ離婚しないだけは断言する気持ちの悪い男であり家のなかの男を演じつつ家の中で空気になってる、という男の演技がぴったりだった
(まだ母のルミ子は"何睨んだりして、気持ち悪い"という)
無償の愛とカトリックの関係性
どんな相手も赦しどんな相手も愛せ
という教えと母娘を合わせたことの恐ろしさ
宗教によって子育て(いま絶賛ニュースになっているけど)は
完全に左右されてしまう怖さ
上手く使えば宗教自体は悪いものでは無いですが(悪いものもありますが)
宗教に利用されずに利用するくらいで無いとのめり込まれて刷り込まれてしまう
それが、宗教を信仰していなくとも、求められたり求めてしまうものが母であり、娘である
とすると無償の愛ってそれが当たり前と言われてしまうのってすごく残酷じゃない?
(女は誰しにもある)
同じモノが同じように見えない母と娘
真実を告げられた時、泣いている娘を抱きしめるのが正解と母から教わっていたのに、清佳を抱きしめられず、首を絞めることしかできなかった、ルミ子
抱きしめてくれた母のように娘を抱きしめられなかったルミ子は母のようで母では無い。
それをも「母性」と言えるのか、と問われている気がした
清佳の自殺未遂
父が他の女と家庭(ごっこ)していても
相手の女に何を言われても
自分の母に真実が隠されていたことが悲しくて辛くて苦しくて
そんな母に首を絞められたことが苦しくて辛かったんだね…
衝動的に自殺未遂をした清佳を死の淵から呼び戻してくれたのは母が呼ぶ「清佳」だった
名前
さやかが解禁されるのとルミ子が解禁されるラストの対比
名前にはやっぱりパワーや愛情がこもる
関係性が変わる時、死の淵で彷徨う時、聞こえてくるのはあなた、でもむすめでもなく名前
介護状態になった義母が頼りにするのは実の娘でも息子でもなく義理娘のルミ子
ルミ子さぁん…と呼ぶ声に応えるルミ子は母でも娘でも無い自分の居場所を見つけたようで嬉しそうだった(でもはやりそれも歪んでいるけれど)
ルミ子の告解
神に赦しを乞う時点で自分が罪を犯したとわかっている
「私が間違っていたんです」と告解するのに、
妊娠を告げられて
母に言われた言葉をそのまま言うことしかできないルミ子
電話口の清佳は怖がってるなんて言ってない
互いのコミュニケーションをはかっているようで、はかりきれてないのがわかる電話のシーンでゾッとした
人生って簡単に変わるけど人間って簡単に変わらないよなと突きつけられたような思い。
またじっくり見よう
原作もじっくり読もう