妄想で雨の日を楽しく
人間生きてりゃ不快な出来事はつきものである。雨は降るしメガネは忘れるしホークスは勝てないし!(ちなホークスファン)自分ではコントロールできない多くの事象に振り回されながら生きるのが人間という生き物である。
とはいっても不快なものはやっぱり不快なわけでして。思い通りにいかずストレスフルな一日は、誰にでもやってくる。ネットで知恵や処世術、ライフハックが簡単に手に入る時代でも、未だに自分の機嫌すらマネジメントできないのが人間、否私なのだ。
私は意思の弱い人間なので、思い通りにいかないとき我慢したり、乗り越えようとするのは半ば諦めている。その代わりに普段抑圧している自分の想像力を解き放つことにしている。妄想全開モードだ。このときばかりは、大いに厨二になるし、なろう系主人公になるし、ハルキストになる。周りの目なんて気にしたら負けだ。だって私は主役なんだから。今こそ「臆病な自尊心尊大な羞恥心」をさらけ出そうではないか。
というわけで、これからは普段抱えている妄想の類をネット上にぶちまけようと思う。なお、マジで恥ずかしいものもあるので即黒歴史として葬ることも十分にあり得る。そのときは許せ。決してスクショなどをしてはならない。決してだ。(フリじゃない)
①天気の子ごっこ
雨と言えば天気の子。天気の子と言えば雨。もちろん帆高視点や陽菜視点の妄想もありだが、個人的には須賀さん視点を推したい。なんというか、帆高や陽菜の感情は映画内で十分に描かれているし、葛藤も迷いもなくひたすらに突っ走る帆高は妄想の主人公としてはやや役不足な気がする。雨が降る度センチな気分になってる帆高とか似合わないし、劇中の描写からしてもそういう妄想はしづらいなぁと。
その点われらが須賀さんはいいですよ。妄想の広げがいがある。作中で感情が説明されつくしているわけじゃなく一部に謎が残るし、なにより作中で無茶苦茶葛藤してるし、迷ってる。時系列でいえば、前日譚・後日譚・作中の時間でのアナザーストーリー、どれも妄想がはかどる。
須賀さんのキャラクターとして魅力って「大人になり切れない」ところにあると思っていて、帆高と共通項はありつつも帆高と同じ行動は取れないところが帆高との対比になっていて、それがすごくよかった。大人と子供の間で境界的な側面を持つ須賀さんが、最後に警官殴って「行け、帆高!」って言っちゃう場面で、観ている私も「許した!」ってなった。
(劇中で須賀さんが「思わず」窓を開けてしまうシーン。感情が揺れ動いている様子と今まで閉じ込めていた感情が解放される様子の両方を描いた素晴らしいメタファーだったと思う。)
②灰色と青ごっこ
「車窓×雨=至高」 これは何人にも否定しがたい妄想の定義である。
開始シーンから珠玉。電車の壁に寄りかかる米津玄師、オルガンチクックで落ち着いた前奏、エモ散らかしたフォントの歌詞表示。どれをとっても格好の妄想の種。電車に乗って聞いてるだけで勝手にエモくなれるエモ製造機。人心を知り尽くした巨匠・米津玄師にかかれば、じめじめした電車内も在り日を思い起こさせる舞台装置に早変わり。この曲、実は歌詞にもMVにも雨の描写は一切ないんだけど、不思議なもんでどこか梅雨空が似合う。個人的には2番サビの「どれだけ無様に傷付こうとも 終わらない毎日に花束を」って歌詞がすごく好き。希望のちらつかせ方が絶妙だし、米津っぽさが表れてる歌詞だなと思う。ヒゲダンの藤原くんならもっと希望を見せるし、King Gnuの常田さんならもっとヒリついた歌詞を書くだろうなって。米津視点でも菅田視点でもエモ妄想が捗りそう。
③プロフェッショナルごっこ
天気の子も灰色と青も妄想が捗る作品だが、「両方とも妄想がエモクなりがち」というデメリットもある。妄想はしたいが毎度毎度エモくなっては、日々を逞しく生き抜いていけない、そんな人にはプロフェッショナルごっこがおすすめ。やり方は簡単、ちょっとした瞬間で思ったことを
「~~には、日常を生きる上で欠かせないことがある。」
「ポーン… (字幕ドーン)」
これをイメージするだけ。これだけで日常をちょっと意識高く過ごせるので、逞しく生きたい系のビジネスパーソンにオススメ。なお、これで本当にプロフェッショナルになれるかは知らん。
以上が雨の日にオススメの妄想だ。この時期は気圧も低く、洗濯物も乾かずで大変だろうが、是非一緒に妄想して乗り越えよう。(ちなみに冒頭の「言の葉の庭」は聖地巡礼を兼ねて妄想してたので、東京住まいの方は是非金麦持って新宿へ行きましょう。お酒は園内で飲めないらしいですけど。)