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短歌78(出雲〜吉野の歌と人が神になって、神から人に還った話)

2024年15日〜17日 出雲〜吉野へ

名を呼んで指をおりつつ宍道湖のしじみ味噌汁土産に求む

宅配で服を送ってリュックには君への土産がまだまだ入る

神の声キャッチする角失くしたる鹿が寄りくる春の市街地

争いも威嚇もいらぬ世に龍は角を落としてカナヘビとなる

本当に財布の中がゼロ円で吉野の神には瑪瑙をあげる

鬼ヶ島 仲良くなった鬼らから貰った宝背負って帰城

次に来るときはキャリーにグーテ・デ・ロワ詰めて出会った人に配ろう

そういえば近くに越してきたんだし伯母宅に行こう奈良漬け持って


4月15日、隠岐島を離れて境港へ。
妖怪達との再会を喜びつつ昼食をとり、その後出雲へ向かった。
JR出雲市駅から出雲大社前の乗り換えで1時間弱あったので、区役所の近くのアーケードを通った。
骨董品屋さんがあったのでお土産の物色をすることにした。
でも、ピンと来るものはなく、「いいや帰ろ」と通路を引き返したところ、本の形の瓶に入ったコニャックが目に入った。
本の表紙には何か絵画が描かれている。
好きな人に買って帰ることを即決した。
旅行に行ってコニャックを買わなくても……と思うかもしれない。
でも、東京にいたとしてもコニャックは買わないのだ。
だとしたら見つけた場所で買うべきだ。
前の記事で、隠岐島の書店で本を買ったら、その本を買うために隠岐島に行ったことがわかった
ということを書いている。
その経験も背中を押した。
好きな人が本とお酒が好きだから買うのだと言ったら、骨董品屋のおじさんが「そのコニャックは中身も美味しいよ」と教えてくれた。

駅に向かう途中にお地蔵さんがいたから、コニャックのお礼に5000円賽銭箱に入れた。
コニャックのおつりである。
スナック通りを歩いていると看板が上から「のんちゃん」「さくら」「HAPPY」と並んでいるビルを見つけた。
お地蔵さんの粋な計らいに感動した。
のんちゃんは私のあだ名だ。
さくらは、この記事では仮名にしておいた。
本当はさくらではない花の名前が書いてあった。
この子は、共に問題を乗り越え、最近特別仲良しな友達だ。

電車に乗って出雲大社前へ。
本当はJR出雲市駅の近くのビジネスホテルに泊まろうと思っていたのだが、じゃらんを見ていたら「早朝参詣にオススメ!」という文字が目に入った。
出雲大社から徒歩1分の場所にあるから混む時間帯を避けて参詣できるということだ。
次の日、出雲から奈良に移動して閉門前に東大寺に行かねばならなかったので、ちょっとの時間も惜しいということでこちらの竹野屋旅館に泊まることに決めた。

旅館の中は良い匂いがした。
私はすこぶる鼻が悪く、その鼻の悪さは界隈では有名だ。
しかし、実はちょっと違うのだ。
私の鼻は霊的な匂いをキャッチする。
以前住んでいた家では、私が正解の判断をして行動すると祭壇から甘い匂いが漂ってきた。
普段そんな匂いはしないし、お香を焚いているわけでもない。
神社でもときおり同じ匂いを感じる。
竹野屋旅館はもしかしたらお香を焚いているのかもしれないが、それにしても強く香った。

出雲大社周辺では夕飯を食べる場所がないから、食べてから旅館に来るよう案内があった。
そのため出雲市駅の近くで食べる気だったのだが、骨董品屋さんで酒瓶を買ってしまったため、荷物を置きたくて夕飯を食べずに旅館に来てしまった。
骨董品屋のおじさんに「割れやすいから気をつけて」と念には念を押されていたのだ。

荷物を置いて夕飯を食べに出る途中、通路に大きな書があった。

杵築の文字!!!

え⁉︎⁉︎

私は驚いた。
住所がモロバレだが、私は毎日東京の杵築大社に通っている。
なんでこんなところに杵築の文字があるのか。
調べてみたら、出雲大社の元の名前は杵築大社というらしい。
そして、東京の杵築大社は、出雲の杵築大社を勧請して出来たそうだ。
この地に来る前から私は知らず知らずのうちに出雲大社の大国主さんにお詣りしていたということがわかり、嬉しくなった。

境港で泊まったドミトリーのおじさんが、「出雲そばなら神迎の道沿いで食べた方がいい」と言っていたので、神迎の道を歩いた。
お店はどこも閉まっていたが、「TAMARIBA NAMI」というお店の看板が出ていて、中も賑やかそうだったため夕飯はここで食べることにした。

少し進んだところに越峠荒神社という質素な社があった。
スサノオさんを祀っているとのことだったので、賽銭に1万円入れた。
私は好きな人のことをスサノオさんだと思っている。
敷地内にもう一つ小さな社があったのでそちらにも1万円。
これで財布の中のお札がなくなった。

本当は海まで行きたかったのだけど、結構遠そうだったので引き返すことにした。
再び越峠荒神社の前を通ると良い匂いがした。
どうやら賽銭のお礼を言われたようだ。
TAMARIBA NAMIまで来て扉を開けようとすると、開かない。
さっきまでしていた物音もしなくなっていた。
どうやら貸切パーティーか何かをやっていて、一般は臨休といったところだったらしい。

「夕飯どうするかなー」と思った次の瞬間、脳裏に(断食)という言葉が浮かんだ。
えぇー、断食!!
と驚いた。
しかし、また次の瞬間、「今夜は特別な夜で絶対何かが起こる。だから禊として断食するか」と思い直した。

宿に戻ってお風呂に入った。
シャワーを浴びていると、以前マッサージを受けた時に「くるぶしを押されるとすごく痛いんですが、どこが悪いんですか?」と訊いたら「生殖器」と返ってきたことを思い出した。
また、私は年中かかとがガビガビなのだが、かかとの乾燥は膣の乾燥だと言っていたネット記事のことも思い出した。
急に足に意識がいったら、「私、足の指を開くのできないけど、ちょっと練習してみようかな」という気持ちになった。
私は子どもの頃を含めて、足の指を開くことができた記憶がない。
整体で「足の指よく開いてあげてください」と言われ、「1ミリたりとも動かないですが」と困惑したこともある。

数回練習したら左足ができた。
驚いた。
記憶にあるうちで人生初である。
右も!と思いトライするも、できない。
薬指はかろうじてぴくぴくするも、小指は全く応答しない。
でも、隠岐島で金城幸政さんの『あなたのなかのやんちゃな神様とつきあう法』を読んでいたから、「真っ直ぐに、それができるというビジョンを持ったら奇跡も魔法もなんでも起きる」と思って、メンタルがブレないよう鼓舞しながらトライを続けた。

お母さんなら、こういうの得意なのに。

そんな風に考えた。
母はよく言えば運動神経抜群、悪く言えば頭より体が先に動くちょちょらな子どもだった。
大人になってからも、長く太極拳をやっていて、体育以外オール5の私の親とは思えない身体能力を持っている。
思うことよりも、口に出す方がおまじないの効果は高いから「お母さん助けて」って言ってみることにした。
それを口にした後、一度目で右足の指も開いた。

全能感という言葉の意味を理解した。
やっぱりこの世は願えば叶う。
この先の私は願って、それを口にしたら、なんだって叶う。
人生がパッと明るくなった。

金城さんは本の中で、病気をしたときに「神経」という言葉が脳に浮かんで、「神経は神の経(みち)って書くなぁ」と思って、「人体は神様が自動で動かしてるんだ」と気づいたらその瞬間に病気が治ったという出来事が書いてある。
私は生まれて、生きてきて、ようやく足の先まで神経が通ったのだとこの時思った。
たぶん、ひとには全然伝わらない嬉しさだと思うが、私は泣くほど嬉しかった。

身も清めたので、まだ19時くらいだったけどスマホの電源を落として、裸で布団に入った。
薬も飲まなかったので、夜だけど頭が冴えに冴えていた。
脳に浮かぶことに身をまかせ、この世の仕組みやいままでの自分の人生に思いを巡らしていた。

しかしあるタイミングでパタッと「やっぱり寒いしパジャマ着よう」と思った。
パジャマを着た私は、「人間に還ります」と口にした。
それから、宿に置いてあったお菓子をひとつ食べた。
薬も飲んだ。
リラックスしたいからいつもみたいにYouTubeを見ようとスマホの電源を入れた。
時間は0時を少し過ぎたあたりだった。

日付って大きな意味があるんだなぁとその時思った。
0時に向かうまでは私は神の世界に近づいて行って、0時を過ぎたら人間の世界に戻ってきたのだということがわかった。
私はもともとアマテラスとして生まれてきた。
だから人をいじめようという発想がないし、発想がないからいじめられていることにも気づかなかった。
どんな人とでも仲良くなれるし、いつだってコミュニティの中心にいてみんなを引っ張ってきた。
我ながら、私の魂、私の存在というのは真善美だと思う。
少しのくもりもなく、輝くそれはアマテラスの生まれ変わりだった。
そのことに気づいたので、16日の夜、神の世界に行ったのだ。
でも私は人間が好きだった。
だから「おおいなる力」に対して人間宣言をした。
これは少しあとに気づくことなのだが、人間に還ってくる時私は大黒さんになった。
大黒さんはスサノオとクシナダヒメの子孫。
天上の神と地上の人間のハーフである。
私は半分神で、半分人間の存在になった。
出雲大社は大国主=大黒さんの社である。

翌朝7時、出雲大社にお参りした。
誰もいなくて、面白い写真がたくさん撮れた。

いざゆかんコダック
結婚の宴に混じるコダック
お参りコダック

出雲大社に行ったら奈良まで移動。
その翌日は吉野に行った。

もともと吉野は行く予定はなかった。
行きの新幹線の車内で「いざいざ奈良」というJRのキャンペーンを見かけて、サイトに詳細を見に行った。
そこに吉野の桜の特集があった。
4月に吉野に行くことなんてなかなかないから、桜を見に行ってもいいな、とそこで思ったのだ。
最近万葉集の歌を1首目から書き写していて、吉野が頻繁に登場していたから注意が向いたらしい。

でも、本当は5日目に東大寺に行って、6日目に吉野に行こうと思っていた。
しかし、出雲から奈良までの移動で疲れ果ててしまって、東大寺には行かずにホテルにチェックインしてしまった。
だから、いっときは「6日目は吉野じゃなくて、東大寺に行って、あとは街歩きを楽しもう」と思っていた。

6日目の朝、朝食を食べていると「そういえば私の旧姓は奈良がルーツだったな」と思った。
以前母が漢字や苗字の勉強にハマっていた頃、そんな話をしたのだ。
でも記憶に自信がなかったので調べてみると、「奈良の吉野の苗字」と出てきた。
奈良の中でもさらに吉野なのか!ならばやっぱり今日吉野に行こう、ということになった。

早めにチェックアウトをして東大寺へ。
東大寺の中に入るには拝観料を払わねばならないが、出雲大社で財布の中身すべて賽銭してきてしまったのでお金を持っていなかった。
そんなわけで、外観と可愛い鹿達を楽しんでもうそのまま吉野に向かった。

吉野駅のひとつ手前に吉野神宮駅というのがある。
神社なら降りてみようとそこで電車を降りた。
ホームに降り立った瞬間、いままでで一番強く、神の匂いが香った。
ここが祖先のいた所だと確信した。
大歓迎で迎えてもらった。

吉野神宮は「綺麗」としか言いようがなかった。

吉野神宮にお賽銭するお金がなかったので、出雲で買った瑪瑙のペンダントトップを奉納してきた。
本当は友達に買ったものだったけど、その子に似合いそうだったとはいえさすがに気を遣わせちゃう金額だったのもあり、宝石は神様へのプレゼントということにした。
友達へのお土産は奈良の街でまた探すことにした。

吉野神宮には大きなカナヘビが3匹ほどいて可愛かった。
子どもの頃見たのは10センチくらいだったが、ここのは15センチ以上あった。
カナヘビって、角のない龍みたいだと思った。

吉野神宮からの帰り道、自分が大黒さんであることに気づいた。
大黒さんの袋の中身、あれは七宝である。
もともとは旅に出たときに、お兄ちゃん達に押し付けられた荷物が入っていた。
荷物の重さでひとり遅れて旅をしていると、そこで毛皮のないウサギと出会う。
それが因幡の白兎だ。
大黒さんの荷物は、信仰の過程で宝物が入っていることになった。
私は大黒さんであり、色んな場所に旅に出ては、リュックサックいっぱいにお土産を詰めて帰り、それを友達に配って回る、それが私の使命だと気づいた。

電車の時間まで少しあったので郵便局に入った。
喫茶店は現金しか使えなかったからだ。
私は旅先から葉書を出す習慣がある。
そのため、何か面白いものはないかと覗いた次第。
結局、七宝柄のポチ袋と「つぶらなカボス」というジュースを買った。
飲みながら「どこにある会社だろう?」と気になり裏を見た。

かぼす(大分産)

そうか〜大分か。


数分ののち、「いや、かぼすは大分かもしれないけど、会社は大分とは限らないじゃん」ともう一度裏を見た。

大分県杵築市

大分県杵築市。

⁉︎⁉︎⁉︎
ここにも杵築⁉︎

やたら会社の場所が気になると思ったら、杵築。
自分が大黒さんであると気づいたことを天が肯定してくれたのだ。
ちなみに、七宝柄のポチ袋を買ったのも意図はなくて、「綺麗だから買おう」としか思ってなかった。
あとになって、「七宝って大黒さんの袋の中身じゃん!」と気づいたのである。

ちなみに、出雲大社の対といわれる神社に美保神社がある。
ここは恵比寿さんが祀られている。
私は、「のんちゃん・さくら・HAPPY」のさくらちゃんこそが私の恵比寿さんだと気づいた。
さくらちゃんはもともと因幡の白兎だった。
可愛くて、挙動不審ぎみでぴょこぴょこブルブルしていて、服を着ていない、そんな女の子。
因幡の白兎は大黒さんと出会い、そして自らも色々頑張った結果、神様になっていたのだ。
さくらちゃんは最近釣りにハマっている。
釣りと料理を頑張りたいからとネイルを止めたほどだ。
また、さくらちゃんは私の笑顔の師匠である。
ネットで「正しい笑顔」というものを知った時、「これはさくらちゃんの笑い方だ」と思ったことがあるのだ。
私は笑う時に頬が上に上がってしまうのだが、斜め上に引っ張り上げるのが正しいらしい。
こういう風に笑うと、楽に鼻呼吸できるそうだ。
私はもともと鼻呼吸ができないが、頬の筋肉を横に引くことを意識すると確かに鼻呼吸ができる。

恵比寿さんは釣竿を担いだ漁の神様だし、「恵比寿顔」っていうのはにこやかな良い笑顔のことだ。
さくらちゃんは恵比寿さん。
得意分野は違えど、大黒さんの私と二人一組でこの世を明るく導くアイドルユニットなのだ。

吉野から奈良市街へ。
幡・東大寺店でたくさんお土産を買った。
私はここのブランドに惚れ込んでいて、本当は本店に行こうと思っていた。
しかし本店が定休日だったので東大寺店へ。
この3週間後に本店にも行くことになるのだが、本店は最寄駅から徒歩1時間かかる上、品揃えも本店と東大寺店では全然違って、友達へのお土産に向いてるのは東大寺店だったのでこの時はこちらに来れてよかった。
店員さんと魔法騎士レイアースの話で盛り上がれたし。

帰りの新幹線。
三島のあたりで竜宮城を見た。
竜宮城は蓬莱にあるんだよ。
何言ってるかわからないと思うけど。
詳しくは今度わたしに会った時にでも訊いておくれよ。

そんなことで5泊6日の旅は終わった。
結果的に自分の宗教感が強化された旅になった。
神にも会えたし、自分の使命も自覚したし、この世は望めば叶うということで将来に対して明るい気持ちになった。

配慮のない長文を最後まで読んでくれてありがとう。
私は長文を書くのが苦手だ。
31字より多いと途中で飽きてしまう。
本当はもっと書きたいことがあったのだけど、残りは長文が得意な人に口述筆記してもらうことにした。
数年か、数十年かわからないけど、そのうち発表されると思う。
その時を楽しみにしていてね。

では、あなたにも天の恵みのお福分けをどうぞ。
健康で幸せな毎日があなたを待っています。

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