三蔵法師にまつわる話あれこれ
みなさんは三蔵法師をご存知ですよね?
「ああ、知ってるよ。三蔵法師といえば悟空や沙悟浄、猪八戒が活躍する西遊記に出てくるお坊さんだろう?あれ?確か女の人じゃなかったっけ?」と、テレビドラマで夏目雅子さん扮する三蔵法師をご覧になって「三蔵法師は女性だったんだ。」と思っている方もおられるかもしれません。
いずれにせよ、三蔵法師といえばこの西遊記に出てくる唐代の僧・玄奘が有名ですから、普通は彼個人のことをさすと思いますよね。ですから「実は三蔵法師は一人じゃなくてたくさんいるんだよ。」と言われると、きっと驚かれる方も多いのではないでしょうか。
そもそも「三蔵」とは仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のことで、インドや西域から教典をもたらし、またそれらを漢訳した人々を尊称して「三蔵法師」と呼ぶのです。
また、三蔵法師は中国人であるとは限りません。調べてみますとインドや西域の人が多くてかなり多国籍なのです。例えば最初の三蔵法師で四大訳経家に数えられる鳩摩羅什(クマラージュ)は、亀茲(クチャ)国(新疆自治区)出身。求那跋摩(グナバツマ)や僧伽跋摩(サンガヴァルマン)は天竺(インド)出身だし、真諦も西インド生まれで中国に渡来した訳経僧ですから、かえって中国人僧は少ないと言えるでしょう。そして、実は日本人で三蔵法師になった人がいるという話をすると、みなさんはこれまたかなり驚かれるかも知れません。
日本人僧で唯一「三蔵」の称号を与えられたのは、何と私の住む長浜市の南隣にある米原市醒井付近出身で、興福寺の僧・霊仙です。その生涯については記録が少なくてあまりはっきりしないのですが、霊仙といえば鈴鹿山脈の最北に位置する標高1,094 mの山ですから、出身地の山の名前を僧名にして得度したのでしょうか。
さて、霊仙は804年(和の延暦23年、唐の貞元20年)にあの最澄や空海と同じ第18次遣唐使の一行として唐に渡りました。
彼は唐の都長安で仏典の訳経に従事し、「大乗本生心地観経」を翻訳する際の筆受・訳語の長を務めた功績を認められて、皇帝憲宗より「三蔵」の称号を賜っています。
憲宗は仏教の熱心な保護者で、霊仙も寵愛を受けて「外寇からの防衛」や「敵国降伏」を祈願する秘法『大元帥法』を授けられるのですが、その秘法が国外へ流出することを恐れた憲宗によって、日本への帰国を禁じられてしまいます。
その後、憲宗が反仏教徒に暗殺されたため、霊仙は迫害を恐れて山西省の五台山(文殊菩薩の聖地)に移っていますが、死ぬまで日本の地を踏むことはなかったそうで、一説によれば霊境寺の浴室院で毒殺されたという話もあったりして、なかなかにミステリアスな生涯です。
ちなみに、後年、円行・常暁という日本の僧が入唐した時に、霊仙の門人であった僧侶達から手厚くもてなされて、霊仙の遺物や大元帥法の秘伝などを授けられて日本に持ち帰ったという話が伝わっています。
また、霊仙が訳経に関わった『大乗本生心地観経』は大正2年になってから大津の石山寺に現存していることがわかり、その巻末に「醴泉寺(れいせんじ)日本国沙門霊仙筆受并譯語」としたためられてあって、霊仙がサンスクリット語を聞き取り、漢語に翻訳したことがわかったのです。この発見によって霊仙への注目が一気に集まりました。
如何でしょうか?何となく頭の中でイメージしていた三蔵法師がグッと身近になった気がしませんか?(^^)
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