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ふしん道楽 vol.32 個室

私は小学生から成人するまで、妹と二人で四畳半の部屋にいたので、成長過程で「自分の個室」というものを与えられたことがなかった。
なのでずっと個室というものに憧れてはいたのだが、どういうわけかこの年になるまでもったことがなかった。
この場合の個室とは、自分の机やベッドが置いてある❝自分だけのお部屋❞という意味だ。

何年か前に多くの主婦が自分の個室をもっていないという記事を見かけて
驚いたのを覚えている。
言われてみればあまり聞いたことがない「お母さんの部屋」というワード。家族で生活している場合、一般的に主婦の部屋というのは「夫婦の寝室」を指すことが多く、その場合、結局は夫と共同の居室ということになる。
子どもたちには個室が与えられていても、主婦の部屋はないことが多い。
もちろん絶対にないということはなく、そのなかには「自分はずっと個室があり続けてきた主婦である!」と、主張する人もいることだろう。
そういう人もいるのは分かっているが、これはそうでない人がいる、という話なのだ。
つまり私だ。

個室を持たないまま成長し家を出て一人暮らしを始めた。
それは個室じゃないのか?
しかし私が最初に住んだ家は五畳ほどのキッチンと六畳一間の小さな部屋で、そこに朝から晩まで毎日アシスタントさんがギチギチに座って仕事をしていた。
その隙間でご飯を食べて、机をどかして布団を敷いて寝ていたので、「共同の仕事場で皆が帰った後、寝泊まりしている」といった方が近い状態だった。
どう考えても自分だけの空間ではない。
そこからやっとの思いで引っ越したのが、六畳の部屋が二つに、十七畳のリビングがある2LDK。
今度こそ!と思いきや、そこでも一部屋は仕事部屋、一部屋は当時同棲していた彼氏との寝室。
仕事部屋には常にアシスタントさんがいたし、リビングでは編集者が床に座って原稿に写植をぺたぺた貼っていたりした。
自分の好きなもので飾ったり、自分好みのインテリアであふれたお部屋という感じではなかった。

そして結婚したときに住んでいたマンションも2LDK。
二部屋あるうちの一つは寝室として使い、もう一部屋は……何も置いていなかった。
何とそのころには私はもう長年の自室なし生活が板についていて、「自分の部屋」をどうして良いか分からない人になっていたのだ。
なので寝室以外に用途のない部屋があり、せっかく誰はばかることなく「自分だけの個室」として使えるにもかかわらず、ほとんど何も置かずに2年くらい放置していたのだった。
そのころには仕事場は別の場所にあったので、自分の机も本も全部仕事場にあり、そうするともう置くものも飾りたいものもない。
その空っぽの部屋を眺めて、まるで自分の人生のようだなと途方に暮れる夜もあった。
じゃあ仕事場が自分の個室かというとまったくそんなこともなく、もともと店舗の物件だったのでフロア全体が一つの空間で、そこを本棚などで緩く区切っていただけ。
打ち合わせをする応接室、皆で食事をする部屋とキッチン、全員の仕事部屋が大きく一つあって、その隣はソファのある小さな空間があったが、区切られておらず個室という感じではなかった。
自宅の空き部屋にはいつの間にか夫が荷物を運び込み、机を買ってきてもち帰った仕事やらを始めていくうちに結局、彼の個室になってしまった。
しかし、こればかりは自分のせいでもある。
前述したように長年個室をもたずに暮らしてきたために「自分の部屋」づくりの方法が分からず、目の前にあっても入っていこうとしないのだ。
そういう自分を発見した。

そこからはもうそのまま、鎌倉の家でもダイニングで仕事をして昼間はリビングに、夜は寝室に居た。
都内のマンションでも、同じく間取りは寝室とリビングと大きめのクローゼットルームという構成で、ここにも自分の部屋というものはない。
夫は会社とは別に自分の仕事室というものをもっている。
しかし私は仕事場はあれどスタッフと共同の空間である。
もういい加減に自分だけの場所をつくろう、チャンスはいくらでもあったが自分にその余裕がなかっただけだ。
そう思うようになったのはつい最近のことだ。
今年になってついに少しだけ家をいじって、狭いけれど自分の部屋をつくることにした。
本来は納戸である小さなスペースに、壁に造り付けの棚を薄くつくってもらってなるべく圧迫感がないようにする。
そこには自分のコレクションを置く。
自分の部屋がないのにそういった細かいものを買うと、リビングに置くことになって散らかるので何十年も買うことがなかった。
だがここ最近、私はもとから好きだった棘皮動物と海洋生物標本に加えて、鉱物標本収集に手を出してしまった。
鉱物ガチ勢ではないので量は少しなのだが、美しい標本を手に入れたら
やはり飾る場所が欲しい。

それともう一つ。
コレクションというほどのものではないけれど、好きなブランドのものを買っていたらいつの間にか溜まっていた香水もある。
専用の小さな冷蔵庫に収納しているが、寝室の一角に突然冷蔵庫があるのは何とも落ち着かない。
自分の小部屋にその香水冷蔵庫を設置し、標本類とそれにまつわる書籍、
調香の道具などを並べてその中で仕事もしたら楽しそうである。
幸いすべてが小さいものばかりなので、収納棚も奥行き12センチほどで済む。
小さな作業台と造り付けの棚に囲まれた初めての自室。
50歳を超えて初めての経験に年甲斐もなくわくわくしてしまう。

10年くらい前、キッチンに小さな主婦用のデスクスペースをつくることが
流行した。
主婦のために、家計簿をつけたりレシピを読んだり、そういう作業をする小さなスペースを!といううたい文句だったような気がする。
もちろんスペースには限りがあるのでそれだけでも十分に素敵だが、許されるのであれば小部屋をつくったらもっと良いと思う。
ミシンを置いて趣味の裁縫を楽しんだり、奇麗な色の刺繍糸など手芸用品を並べても良い。
絵を描く人ならパレットや描きかけの絵を置いたままにできる場所があると、いつでも作業に戻れて嬉しい。
もちろんドレッサーと小さくて美しいイスを置き、壁にはシルクのガウンをかけ、お気に入りのおめかし空間にしても良い。
お子さんがいる人はそんなところにこもっている時間はないかもしれないけれど、気に入ったものを置いておくだけでも良いと思う。
小さくても自分の部屋をもつことは何だか幸せなことだから。


初出:「I'm home.」No.132(2024年9月13日発行)

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安野モヨコ&庵野秀明夫婦のディープな日常を綴ったエッセイ漫画「監督不行届」の文章版である『還暦不行届』の、現在連載中のマンガ「後ハッピーマ…

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